「奇跡の人」ヘレン・ケラー(1880〜1968)が、キリスト教の世界で異端とされている神秘思想家 スウェーデンボルグの信奉者であったことはあまり知られていない。ヘレンのエピソードといえば、アン・マンスフィールド・サリバン先生(1866〜1936)との交流がよく語られる。しかしサリバン先生がヘレンの「心」を解き放ったとすれば、スウェーデンボルグはヘレンの「魂」を解き放った存在であった。
ヘレン・ケラーにはサリバン先生とジョン・ヒッツという二人の師が存在した
ヘレン・ケラーは盲・唖・聾の三重苦を背負った人生であった。彼女は世界を認識する能力のほとんどを持つことなく、まさにその心も闇に閉ざされていた。ヘレンは四股切断の過酷な運命を生きる中村久子(1897〜1968)と出会い、「私より不幸な人」と語ったというが、健常者の身で想像するなら、闇と無音の世界こそより恐ろしいと思える。しかし不幸は幸福を知るチャンスでもある。久子が魂の彷徨の末に「歎異抄」を知り、親鸞(1173~1263)を信奉したように、ヘレンもスウェーデンボルグの思想に深く傾倒した。
サリバン先生が心配するほどにヘレン・ケラーはスウェーデンボルグへを崇拝した
ヘレンがその生涯で最も影響を受けた人物は言うまでもなく、サリバン先生である。彼女はまさに闇に閉ざされていたヘレンの心に光を灯した人であった。そのサリバン先生に次ぐ人物として、ジョン・ヒッツがあげられる。ヒッツはヘレンにスウェーデンボルグが説く独特のキリスト教思想を教えた人物である。しかしサリバン先生に比べヒッツの知名度は低い。
サリバン先生とのドラマはあまりに感動的であり、ヒッツの影が薄くなるのは当然ではあるが、やはりテーマが宗教であることが、ある種の人たちから敬遠される要素なのだろう。それでも従来のカトリックや仏教、イスラムならそうはならないと思われる。スウェーデンボルグの神秘思想はキリスト教からは異端として扱われている。サリバン先生もヘレンのスウェーデンボルグへの崇拝ぶりを心配していたという。
スウェーデンボルグの説く「霊界と内なる世界」とは
エマニュエル・スウェーデンボルグ(1688 〜1772)の前半生は鉱山技師であり科学者だった。化学、地質学、天文学、解剖学など、様々な分野で先駆的な業績を残している。特に大脳皮質論の先駆性は高く評価されている。50代から幻視体験をするようになり、霊との会話や霊界探訪の記録を残している。
しかし、スウェーデンボルグの言う霊界とは天や宇宙などの遥か彼方の異世界ではない。人間の精神は霊界に属しており、天使や霊は人間の精神と結びついているとしている。霊界とは我々自身の内的世界のことであるという。ヘレンはこの思想に基づき、スウェーデンボルグについて語っている著書「ヘレン・ケラー 光の中へ」でこのように述べている(以下、引用は全て同書より)。
「私を取り囲んでいるすべては、おそらくは沈黙と闇でしょう。私の霊においては、色彩が私のすべての思考を彩ってゆくのです」
ヘレンはスウェーデンボルグの教説により、霊的世界の実在を確信し、三重苦を超越する希望を見出したのである。
目の見えないヘレン・ケラーにとって「霊界と内なる世界」を受け入れるのに抵抗はなかった
スウェーデンボルグの幻視が真実であるかはわからない。なぜわからないかといえば、我々は認識のほとんどを視力に依っているからである。眼に見えないものの存在を信じるのは、特に科学的世界観が浸透した現代では難しい。物見えぬヘレンにとっては我々が現実であると認識する世界と、スウェーデンボルグが提示する霊的世界との間に差異はなく、偏見による抵抗もなかった。
サリバン先生とヘレン・ケラー
三重苦の少女ヘレンが「世界」を認識した物語は有名である。家庭教師サリバン先生はヘレンの手をつかみ、その手に水を流した。そしてヘレンの片方の手に指で「WATER」と書いた。ヘレンは、この冷たい何かと、「W・A・T・E・R」という記号の組み合わせが対応していることを知った。初めて外界と本当の意味で触れ合ったのだ。ヘレンの前に突如、無限の現実世界が現れたのである。
ジョン・ヒッツとヘレン・ケラー
一方、ジョン・ヒッツはワシントン駐在のスイス総領事を務め、聾者の支援などを行っていた人物である。ヘレンが13歳のときに出会い、点字を習っていた彼は文通を続け、様々なジャンルの本を点訳して贈ったという。その中にスウェーデンボルグの「天界と地獄」があり、ヘレンはスウェーデンボルグの思想に感銘を受けた。
霊界とは我々自身の内的世界のことであるとするする思想は、ヘレンにとって衝撃だったに違いない。ヘレンが閉じ込められていた自己の内的世界が牢獄ではなく、霊界=真実の世界であるというのだから。サリバン先生に導かれるまでの内的世界は確かに牢獄であったろう。しかし世界に解き放たれたヘレンの内的世界には今や光が差していた。ヘレンは改めて自分自身と対話をする。そして自己の中に広がる現実を超えた霊的世界に気づいた。第二の目覚めであった。
開かれた心の眼
元々ヘレンは視力で物を見ていたのではない。触覚で見ていたのでもない。サリバン先生に導かれ、「冷たい何か」と「W・A・T・E・R」の関係を気づくことで、心が目覚め、心で世界とコミットしたのだった。そんなヘレンは我々が眼で物を見ている故に、返って見えないものも、我々の見る物質と変わらない感覚で見ることができたのである。「眼に見えないものの存在は信じない」「自分の眼で見たもの以外信じない」という人がいるが、ヘレンには苦笑以外の何物でもないだろう。彼女にとっては、スウェーデンボルグの提示するヴィジョンも、現実世界も違いはなかった。ヘレンは言う。
「眼が見えず、耳が聞こえない者にとって、霊の世界を想像するのは難しいことではありません。大多数の人々にとって霊的な事象が漠然としていて遠いものであるのと同じように、障害をもつ私の感覚にとっては、自然界のほとんどすべての事象が漠然としていて遠いのです」
また、こうも言っている。
「ニュートンのような人が落ちるリンゴを見て自然界には万有引力というものがあると気づくときには、彼は日常の光景をはるかに超えたものを見ているのです」
宗教にしろ科学にしろ、真実の世界は肉眼では捉えきれない。ヘレンはむしろ三重苦となったことで心の眼が開かれたのである。
スウェーデンボルグの可能性
肉体を越えた真実の世界や、自己に宿っている霊体の確信は、三重苦の苦しみが永遠のものでないことを教えてくれる。そうかといってヘレンは死後の安寧をあてにしたわけではない。「外側の生活と内側の生活との均衡を保つ」と言い、霊的な真理を、いま・ここに生きるための糧として活かしたのだった。こうしたヘレンの体験を読む限り、スウェーデンボルグの霊界論や霊魂論は、障害を持つ人、死に直面している人、親しい人を失い悲嘆に陥る人らに、大きな影響を与える可能性があるのではないか。偏見を捨てて、改めて研究されるべき人物である。いずれその思想を詳しくまとめてみたい。
我々はスウェーデンボルグのような人物に対してはどうしても幻視、神秘体験などに目が奪われがちである。ヘレンは魂でスウェーデンボルグの思想に直接触れた。その意味で本当に眼が見えていないのは我々の方なのかもしれない。
参考資料
■ヘレン・ケラー著/鳥田恵訳「ヘレン・ケラー 光の中へ」めるくまーる(1992)
■高橋和夫「スウェーデンボルグの思想」講談社現代新書(1995)
■鈴木大拙「スェデンボルグ」講談社文芸文庫(2016)