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博多にある龍宮寺に残る人魚塚・人魚の掛け軸・人魚の骨を調べてみた

九州の玄関口、九州の博多駅中央口を出て、メインストリートの大博通りを海側に向かって10分ほど歩いたところに、現代的なビルの間に挟まるような格好で、「龍宮寺(りゅうぐうじ)」という、小さなお寺がある。

浄土宗で、正確な年月日は不明だが、平安末期に、谷阿上人が開山したという。お寺であっても、いわゆる観光スポットではなく都会の目立たないお寺であるため、知らない人はそのまま通り過ぎてしまうだろうが、実は龍宮寺には、1953年に再建された「人魚塚」、そして常時一般公開はなされていないが、人魚が描かれた掛け軸と、人魚の骨が安置されている。


龍宮寺は浮御堂(うきみどう)と呼ばれていた

2018(平成30)年の統計によると、韓国や中国からの旅客を乗せたクルーズ船やジェットフォイルが年間約155万人訪れ、入港船舶約29000隻のうち、外国船籍の船が90パーセント以上を占め、輸入・輸出貿易における貨物総数は、およそ1900万トンに及ぶなど、国際物流拠点でもある「博多湾」こと、かつての「博多津」は当時、今日よりも海岸線が内陸側にあった。そのため創建当時の龍宮寺は満潮になると境内が浸水することから、「浮御(うきみ)堂」と呼ばれていた。


人魚が打ち上げられてからは龍宮寺と呼ばれるようになった

しかし、寺伝によると、鎌倉時代の1222(貞応元)年4月14日に、博多津に81間(けん)、およそ146メートルもの巨大な人魚が打ち上げられた。さすがに146メートルというと、エジプトのクフ王のピラミッドや、東京・築地の聖路加病院と直結した、聖路加レジデンスと、大体同じ高さになってしまうことから、「大きさ」が誇張されて伝承されたものだろう。

人魚の肉は不老長寿と信じられていたことから、当初、地元の人々はそれを食べようとした。しかしこのことは即座に、鎌倉幕府に伝えられた。それに伴い、京の朝廷から勅使として、「冷泉中納言」が下向した。その間、安部大富(あべのおおとみ)という占いの博士が吉凶を占ったところ、「この人魚は国家長久の瑞兆である」という結果が出た。それを受けて、この人魚の肉は食べられてしまうことなく、手厚く埋葬された。更に、「人魚は龍宮から来たのだろう」ということで、寺の名前を龍宮寺と改め、勅使の冷泉氏の苗字を取って、「冷泉山」と山号を定められ、「博多津」が「冷泉(れいぜい)津」とも呼ばれるようになったという。

ここで言う「冷泉中納言」だが、歌人としても知られる藤原定家(ていか、1162〜1241)の孫で、冷泉家の祖である藤原為相(ためすけ、1263〜1328)のことを指すのか。藤原定家または、その息子の為家(ためいえ、1198〜1275)のことなのかは判然としない。後の室町時代に、「正風連歌(しょうふうれんが)」を確立した宗祇(そうぎ、1421〜1502)が1480(文明12)年、太宰府・博多を旅した折に10日間、龍宮寺に滞在し、「秋更けぬ 松のはかたの 奥津風」と詠んだ。こうした「歌人」つながりで、藤原定家に連なる「冷泉」の名前が用いられるようになった可能性もある。


龍宮寺に残されている人魚の骨とは

龍宮寺に所蔵されている「人魚の骨」は、光沢のある茶色い骨が6本。江戸期の安永年間(1772〜81年)に寺内で掘り出されたもので、哺乳類の可能性が高いが、何の骨かは不明だ。打ち上げられた146メートルの人魚のものなのか。この骨は明治時代の初めぐらいまで、夏祭りの折に一般に公開されていた。しかも、水を張ったたらいに人魚の骨を浸し、不老長寿・無病息災に霊験あらたかだとして、参詣する人々に飲ませていた。しかもその際、骨の多くが持ち去られてしまったという。


龍宮寺に残る人魚の掛け軸・人魚の絵とは

そして「人魚の絵」は、戦国時代の永禄年間(1558〜1570年)に描かれていたものの写本だ。美しい女性の人魚が描かれ、詞書には寺と人魚の由来が記されている。超常現象研究家の山口直樹(1954〜)はこの絵について、龍宮寺に伝わる「人魚の骨」と、龍宮寺から見ると対岸に存在していた「庄ノ浦」(現・福岡市中央区薬院(やくいん)か警固(けご))に伝わる「人魚伝説」と併せて描かれたものではないかと推察している。


人魚伝説とは

「人魚伝説」とは、以下の話である。

庄ノ浦にひとりの美しい娘が住んでいた。村の男たちは皆、娘に心を寄せたが、娘はそれを一切寄せつけなかった。しかしある時、娘は浜辺で小姓姿の美しい少年と会い、すっかり魅せられてしまった。そしていつしか、娘は庄ノ浦から消えてしまった。人々は「あの娘は、スズキの化身だった若小姓に魅入られ、海の底深くに沈んで行ったのだろう」と噂していた。また、偶然だろうか。娘がいなくなってから、どんな不漁の日であっても、娘のことが好きだった漁師たちは、多くのスズキを釣り上げることができるようになった。

何年か後、引き潮になると現れる柳(楊)ケ池で、1匹の人魚が網にかかった。しかもその人魚の顔は、いなくなってしまった娘にそっくりだったという。

漁師たちは、「消えた娘が人魚になった」と信じ、人魚を龍宮寺に手厚く葬ったという…。

こうした龍宮寺における「人魚塚」「人魚の骨」「人魚の絵」、そして「人魚伝説」は、現在も昔も、「港湾都市」だった博多ならではのものと言えよう。


SNSを通じて拡散される情報の真偽とその良し悪し

世界的に新型コロナウィルスの感染拡大が懸念されている状況が続いているが、インターネット上においてSNSの興隆により、個人の発信が容易になったこと、そしてその拡大範囲が広大なものになった21世紀の今に限らず、非常事態においては、地域の「口コミ」レベルで様々な噂・デマが飛び交い、多くの人々を振り回し、果ては社会システムや国家体制すらも混乱させてしまうのは世の常だ。それらを全て、「根拠のないこと」「嘘」と断罪することは、必ずしも「正義」ではないと筆者は考える。

医療技術が進んでいなかった大昔においては、科学的には何の根拠もなく、場合によっては「毒」「有害」だったとしても、「霊験あらたか」として、「人魚の骨」をひたした水を「霊水」としてありがたくいただいたり、または骨そのものを「お守り」がわりに持ち歩いたりすることで、「病は気から」の「気」、すなわち、現実的な「病気」ではなく、「気分」「雰囲気」で体調がすぐれなかった人々を快癒させたこともあったのだ。もちろん、現在において、「新型コロナウィルスに効く」などと、怪しげなサプリメントや「霊水」などを「ビジネス」にすることは、決して許されることではない。何らかの悪意や、閉塞した状況下での鬱屈をぶつけるばかりではなく、面白半分、または「シャレ」や「ノリ」で突拍子もないデマをSNS上や、学校・職場の仲間、或いは地域の人々との井戸端会議において流すのも同様だ。


得体知れない人魚らしきものは手厚く葬られた

龍宮寺にまつわる博多の「人魚伝説」で特筆的であるのは、146メートルの人魚にせよ、人魚に変化(へんげ)した庄ノ浦の美しい娘にしても、当時の博多の人々は、福井県小浜市の空印寺(くういんじ)など、日本海沿岸地域に伝わる、意図せず人魚の肉を食べてしまったために、不老長寿を手に入れてしまった「八百比丘尼(やおびくに)」伝説に端を発するものだろうが、「不老長寿に霊験あらたか」とされた人魚の肉を、「我こそは不老長寿を手に入れたい!」とばかりに、奪い合うようにむさぼり食らう。

または「不吉なもの」として、どこか遠くの山などに廃棄したり、傷つけたり、焼き捨てたりするのではなく、きちんと葬っていることだ。もしかしたら、打ち上げられた「人魚」は、体長が2〜3メートルにも及ぶという、哺乳類の海棲生物である、ジュゴンやマナティだったのかもしれない。それらを一度も見たことがなかった人々にとっては、「変な生き物」を超え、「怪異」「妖怪」に見えてしまうものだろう。そうしたものを突然、目にすることになった時、当時の人々はよく、パニックにならなかったものだと驚くばかりだ。仮に「人魚」に恐怖を覚え、パニックになった人がいたとしても、安部大富のような占いの博士の言葉をもって、その「勢い」を押しとどめることができた冷静な人々が多々、当時の博多津周辺にいたからだろう。その結果、「人魚」は人間と同じように、手厚く葬られたのである。


未知に人は恐れる。だからこそ…

現在の「コロナ禍」においては、人魚が海辺に打ち上げられること以上に、直接的に未知のウィルスによって、自分の生命の危機にさらされているため、当時のように「占い」の言葉で「安心」し、「冷静」な振る舞いができるようになるというわけにはいかない。しかし、たとえ「今」が過酷で、希望が全く見えない状況であるように思えたとしても、「未来」「運命」に自分を委ねるしかない。デマのみならず、新型コロナウィルス報道における「切迫」「医療崩壊」「緊急事態」「恐れ」…などの言葉に混乱してしまう「今」でも、落ち着いて情報の正しさ、不確かさを弁別し、平常心を保っている「今」でも、時は等しく流れ去って行くのだ。 

それゆえ、「切迫」した「今」だからこそ、自分自身が試される。今までの、そしてこれからの生き方が問われる。そう「観念」した上で、自分の命が尽きるまで、「今」を乗り越えていく、またはやり過ごすしかないのだ。しかしそうは言っても、取り乱してしまうのも、「自分が!」「自分が!」と人を押しのけ、どんな手段を使ってでも、自分を「守ろう」としてしまうのもまた、人間の哀しい性である。だからこそ、世界各地に宗教が存在し、様々な戒律を守ったり、禁忌を避けたり、亡くなった人を手厚く葬ったりするのだ。


参考資料

■朝日新聞福岡本部(編)『はかた学 4  甦る中世の博多』1990年 葦書房
■川添昭二『中世・近世博多史論』2008年 海鳥社
■大庭康時「考古学から見た博多の展開」大庭康時・佐伯弘次・菅波正人・田上勇一郎(編)『中世都市 博多を掘る』2008年(30-37頁) 海鳥社
■山口直樹『【決定版】妖怪ミイラ完全FILE』2010年 学研パブリッシング
■山口直樹『日本妖怪ミイラ大全』2014年 学研パブリッシング
■「宗祇 『筑紫道記』 −1480年の博多」『福岡市博物館』2007年11月13日〜2008年1月14日 
■「「袖の湊」展」『福岡市博物館』2014年1月28〜3月30日
■『博多港
■「龍宮寺 人魚塚」『日本伝承大鏡』
■「龍宮寺」『福岡市公式シティガイド YOKA NAVI』
■「龍宮寺」『福岡市の文化財』
■「龍宮寺」『福岡よかとこ.com』


ライター 鳥飼かおる
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