人には遅かれ早かれ、最期の時がやってくるということは言うまでもない。そうである以上、自分自身はもちろん、人生の中で、「自分にとって大切な人」の最期に立ち会う機会は、誰もがいずれは経るものである。大切な人の死は、誰にとっても耐え難い苦痛を伴うものだ。そんな、他にたとえがたい苦痛を伴う大切な人の死に直面した時の人間の情動、感情の変化について、今日は少し冷静に、客観的に、科学的に考える。
エリザベス・キューブラー・ロスが説いた死の受容過程
スイス生まれのアメリカの精神科医、エリザベス・キューブラー・ロス(Eliabeth kü bler-Ross、1926-2004)は、医師としては初めて、人の死への感情について研究した。この時ロスは、人は死に向けて「否認と孤立」、「怒り」、「取引」、「抑うつ」、「受容」という5段階の感情変化を起こすことを発見した。今日の日本では大学において医学部の他、心理学関係、社会福祉関係の学部でも取り扱われる理論であるから、ご存知の方も多いことだろう。念のため、初めてこの理論に触れる方のために各段階について説明する。
死の受容過程とは
まず「否認と孤独」とは、自分が余命いくばくもないことに対して「そんなはずはない」「何かの間違いだ」という感情を抱き、それに反して自身の死に向けて考えや行動を進める周囲に対しても距離を取ろうとする段階である。
次に「怒り」とは、自分がもうじき最期を迎えることを理解したのち、「なぜ私が死ななければらないのか」、「なぜ私なのだ」というように、自らに差し迫った死を不公平、不条理だと感じることだ。
続く「取引」とは、神仏に対して自らの死を遅らせることを願う段階である。行動の改善や慈善的活動への取り組みなどによって、自らの死が「放免」される、あるいは「猶予」されることを求めるようになる。
そして「抑うつ」とは、「取引」で行動を改めたにも関わらず、何ら好転することのない現状に絶望して、自分の死がもはや不可避的なものであることに悲嘆の感情を抱く段階だ。
最後に来るのは「受容」である。これまで何をやっても回避することも遠のけることもできなかった自らの死を、「いずれは誰もが迎える自然な瞬間」として受け入れ、自らの人生の終わりを穏やかに受容する段階だ。
このようなロスの「死の受容過程」にみる5段階は、主として死に直面した当人の感情を分析したものだが、今日では、大切な人を亡くした人々、つまり遺族や、故人となじみが深い知人についても同様のプロセスが見られると言われている。
遺族にも訪れる死の受容過程
大切な人の死の第一報を聞いた時の「そんなはずはない」「まさかあの人が」といった「否認」の感情、故人の死を認識したときの「なぜこの人が亡くならなければならなかったのだ」といった「怒りの感情」、これは不意の事故や自然災害によって大切な人を突然失った方は特に強く抱く傾向があろう。
そこから「なんでもするからあの人を返してほしい」といった「取引」から、「もうあの人は帰ってこない」という「抑うつ」を経て、ようやく大切な人の死を受け入れ、故人のいない新たな生活へと歩みを向けるのだ。
あらゆる感情は受容までのプロセスだと思えば良い
そのため、大切な人を失ったときには、「悲しんだり、絶望したりしている自分のことを素直に受け入れてあげる」ということが重要だ。「今の私の悲しみや絶望、否定の感情はごく自然のものなのだ」と言い聞かせてあげることが、大切な人の死を受容し、新たな生活へ心を向ける上で大切なのだ。
受容までに必要であるならば盛大な葬儀をしたっていい
そして、故人の葬儀の際には、絢爛豪華な祭壇、集まった故人の生前の友人や知人、華やかに飾られた故人のご遺体を見て、「この人は天寿を全うしたのだ」「だからこうして大勢の人に見守られて、華やかに旅立っていくのだ」と考えてみるとよい。
遺された人々にとって葬儀とは、そうした気持ちを整理する大切な場なのだ。ロスの理論に戻ってみれば、多くの人が「否認と孤独」や「怒り」、「取引」、「抑うつ」といった段階にある中で葬儀が行われるということは、そうした感情を抱いている人々を悲しみや絶望、怒りから解放し、「受容」へと導くきっかけになる。葬儀にはそういった力がある。
「私の葬儀は簡素に、火葬するだけでよい」と子に言い聞かせる人もいると思うが、子どもたち自身に気持ちを整理する時間を与えるつもりで、「どうぞ盛大におやりなさい」と言ってもよいのではないか。