資料請求
心に残る家族葬のロゴ
追加費用不要の葬儀

心に残る家族葬トップ > 葬儀のコラム > 東京都葛飾区堀切にある浄慶庵の「湯殿山供養塔」について調べてみた

このエントリーをはてなブックマークに追加

東京都葛飾区堀切にある浄慶庵の「湯殿山供養塔」について調べてみた

東京都の北東部に位置し、千葉県松戸市、埼玉県三郷市、八潮市、東京都足立区、墨田区、江戸川区と接する葛飾区といえば、寅さんの『男はつらいよ』。そして『週刊少年ジャンプ』に長らく連載され、アニメ化もされた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』や『キャプテン翼』。いずれも国民的人気を博した作品の舞台となった、いわゆる下町。昔ながらの人情がある、都会のようにギスギスしていない場所である。


葛飾とはどんな場所だったのか

現在の葛飾区の位置や範囲と完全に一致しているかどうかはわからないが、東国内の「かつしか」は、古くは『万葉集』(奈良時代末期成立か)の中で「勝鹿」「勝牡鹿」「可豆思加」として登場し、『和名類聚抄』(平安時代中期)には「●(葛の字の「人」が「ヒ」になっている)餝」と記されている。そのような「かつしか」は、川や海と接する場所であるため、古代から多くの人々が行き交い、生活を営んできた。それゆえ、区内の各所には、歴史的・文化的に面白い、珍しいものが多く遺されている。

例えば、かつては下千葉(しもちば)村と呼ばれていた、葛飾区西部に位置する堀切6丁目にある真言宗豊山派の寺院・浄慶庵には、高さ126cm、幅56.5cm、厚さ39cmの「湯殿山(ゆどのさん)供養碑」がある。


湯殿山とは山形県中央部にある霊山

そもそも「武蔵国」、または「東京都」に、何故、はるか彼方の、「出羽三山」の一山、現在の山形県中央部の鶴岡市から西村山郡西川町にまたがりそびえる霊山・湯殿山の「供養碑」が存在するのか。

供養碑のそばに立てられた説明板によると、浄慶庵を創立したとされる郷士・相川重右衛門の子孫である文右衛門夫婦が、江戸時代初期の1664(寛文4)年、旧暦2月のお彼岸の初日に、「逆修(ぎゃくしゅ)供養」、すなわち、生前に自分の死後の冥福を祈って仏事を営むために建てたものであるという。


10体の即身仏が眠る湯殿山

6世紀ごろに開山したとされる修験道の道場である出羽三山の中でも湯殿山は、「奥の院」「秘所」「最終極点の地」とされている。それは、他の月山(がっさん)、羽黒山(はぐろさん)のように、山そのものではなく、温泉が噴出している赤褐色の岩が御神体であることばかりではなく、出羽三山の世界観・構成要素が大きく影響している。

神仏習合、本地垂迹した真言系修験による出羽三山信仰において、月山の本来の姿(本地)は阿弥陀如来で、羽黒山は聖観音菩薩。湯殿山は、古くは前方にそびえる薬師岳の薬師如来と捉えられてきた。それゆえ、月山は阿弥陀仏の浄土であるため「過去」とされ、羽黒山は観音浄土の「現在」、そして湯殿山は、薬師瑠璃光如来の浄土として、「未来」と見なされてきた。つまり、月山、羽黒山を経て湯殿山に至るということは、過去、現在における衣食住にまつわるもろもろの煩わしさを払い落として、時間を超越した、大日如来がいる密厳(みつごん)浄土で仏となり、未来永劫生き続けるということを意味しているのだ。そしてその究極の形が、「即身成仏」。それは、弘法大師空海(774〜835)がなした究極の修行・土中入定(どちゅうにゅうじょう)の思想を基盤として浄土を願い、生きている状態のまま、成仏することを目指すものだ。

即身成仏を志した行人(ぎょうにん)は食を少しずつ絶っていき、一定の期間を経た後、地中に埋められる。通気や地上との連絡は確保されているため、「生き埋め」にして放置したまま死に至らせるわけではないが、行人は何も食べずにただひたすら読経をして過ごす。そして最終的に、ミイラ化した「即身仏」となる。湯殿山の即身仏は10体を数え、特に有名なのが、湯殿山中の注連寺(ちゅうれんじ)の鉄門海上人(てつもんかいしょうにん、1759〜1829)だ。上人は生前、今日で言う医療福祉や社会事業に努め、死後は即身仏となることで、すべての人々が悟りの境地に至ることを目指した。こうしたことから、湯殿山は「究極の聖地」とみなされるようになったのだ。


湯殿山を中心とした信仰が関東にも伝わった

江戸中期以降、出羽三山信仰は、今日の東北圏のみならず、信越、そして関東一円にまで急速に拡大した。その信仰の中心的位置を占めていたのが湯殿山で、縁年とされる丑年には、大勢の参拝客が訪れ、五穀豊穣・海上安全・家内安全・無病息災・病気平癒を祈願したという。そして、実際に湯殿山を訪れた人々によるのか、または湯殿山を訪れた人々にご利益があったことを聞き知った人々によるのか、出羽国から遥か遠く離れた関東の地に、湯殿山の供養碑が多く造立されたという。葛飾・堀切の浄慶庵にある供養碑は、そのような時代の要請に先駆けるものだったのだろう。


短い人生でいつ終わるかわからない不安を克服するために霊山・湯殿山に皆向かった

今日、一部の著名人が、自分が生きている内に世話になった人たちに、長年の感謝の念を表したいとして、「生前葬」を行うことはあっても、一般の人にまでそれが広まっている状況とは言えない。しかし、今となっては廃れてしまった仏教儀式の「逆修」もまた、今日の「生前葬」と似た側面があるのではないか。

厚生労働省によると、2018年における日本人の平均寿命は、男性81.25歳、女性87.32歳と、過去最高を記録した。しかし、安土・桃山時代であれば、平均寿命は30代、江戸時代ならば、32〜44歳だったと言われている。人がある意味、簡単に死んでいたのだ。それは、現代の医療技術や、一般の人々が有する、健康・病気に対する知識が当時の比でなく進歩しているからであるのは言うまでもないのだが、だからこそ、いつ自分が死ぬかわからない不安感や恐怖心ゆえに、まだ自分が生きているうちに、と、霊山・湯殿山に救いを求め、逆修を行ったのだろう。


最後に・・・

今日の、世界的規模での新型コロナウイルス流行に伴い、多くのデマの流布、マスクやトイレットペーパーの買い占めが続いている。もちろん、死につながりかねない謎の病に、自分や家族の者が冒されたくない一心の人々が大半で、その不安な気持ちはよくわかる。しかし、自分さえ助かればいい!と、エゴむき出しの浅ましい振る舞いをするのではなく、100年後、200年後の未来の日本人に、今の我々が哄笑されずに済むよう、冷静かつ節度ある行動を取って欲しいと痛切に思う。


参考資料

■中川慧照『全国石佛石神大事典』1990年 株式会社リッチマインド出版事業部
■葛飾区教育委員会生涯学習部生涯学習課(編)『葛飾の文化財』1996年 葛飾区教育委員会生涯学習部生涯学習課
■岩鼻通明「出羽三山信仰」佐々木宏幹・宮田登・山折哲雄(監修)『日本民俗宗教辞典』1998年(392-393頁)東京堂出版
■葛飾区総務部総務課(編)『葛飾区史』2017年 葛飾区
■「平均寿命、最高を更新 女性87.32歳 男性81.33歳」『日本経済新聞』2019年7月30日 
■「日本人の平均寿命はこうして移り変わった!〜日本の長寿祝いの歴史〜」『昔の新聞ギフトショップ お誕生日新聞』2020年2月20日 
■「湯殿山」『羽黒町観光協会』
■「かつしか堀切マップ(PDF)」『葛飾区観光サイト “かつしかまるごとガイド” かつまるガイド』 
■「即身仏」『湯殿山注連寺』


ライター 鳥飼かおる
葛飾区あるある 東京23区あるある

葛飾区あるある 東京23区あるある

このページのトップへ