結婚記念日や誕生日を、人は忘れません。なぜなら、その日は、とてもめでたい記念の日だからです。記憶に鮮明に残るので、忘れることはありません。
しかし、命日は、時間とともにだんだん記憶が薄れていきます。『おじいちゃんが亡くなったのって、何月だっけ?』などよくあることではないでしょうか。
特に、家族と離れて暮らしている人や、年に数回帰省でしか会わない人はすぐに思い出せない場合があります。お盆やお墓参りで改めて思い出すということもあります。果たして、それでいいのでしょうか?
大事だったあの人の存在を忘れないように遺影に書き添えるのはどうでしょう
結婚式の主役は、新郎と新婦です。参列者からの祝福を受けて、決して忘れられない一日になります。
それであれば命日というのは故人が主役ではないでしょうか。何故結婚式同様覚えていられないのでしょうか。
命日というのは、悲しい日として喪に服すという意味合いがあります。楽しいイベント的な要素は多くなく、淡々と葬儀が進行していきます。テレビや新聞などで報道されるような大きな事件に巻き込まれたり、天災によって亡くなるなど、誰でも記憶に残るようなことなら身内でなくても、鮮明に記憶として残ります。
毎日必ず人が亡くなっています。病死や事件事故など理由は様々です。しかし、その殆どが日常にあることとして大きく報道されることはありません。記憶に残るのは、家族な知人や友人、親戚など限られた人たちだけです。そんな限られた少ない人たちでも、時間とともに記憶は次第に薄れていきます。命日を忘れないようにするために、記録に残すことが重要ですが、例えば仏壇に飾っている、故人の遺影を見て手を合わせるときに、日付もしっかり記しておくのはどうでしょうか。毎日、故人の遺影を見た時に『今日は、月命日だ』と気が付きます。
愛する人、大事な人が一生を終えた日として、残された者はその存在を忘れてはいけないと思います。
記念日というのは不謹慎ですが、いつまでも忘れてはいけない日の一つではないでしょうか。