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キリスト教のターミナルケア「病者の塗油(びょうしゃのとゆ)」とは

宗教の重要な存在意義のひとつは死に直面した人の魂を救うことにあると筆者は考えている。しかし、多くの日本人にとって最も身近な仏教は、むしろ死後に出番を待って待機しているのが大方の現状である。一方、カトリックには「病者の塗油」という儀式が存在する。


「病者の塗油」の成り立ち

病者の塗油(羅: unctio infirmorum、英: anointing of the sick)は、ローマ・カトリックの秘跡(儀式)のひとつで、古来より病に苦しむ人達、臨終を迎えんとする人達の心・魂を癒すために続けられてきた。カトリック教会では秘跡の根拠を新約聖書の「ヤコブの手紙」などに見いだし、初期教会の時代から行われているとしている。ヤコブの手紙には、病人が罪の許しを願い、教会の長老たちによってオリーブ油を塗られ、祈りを受けている様子が描かれている。

「あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を注いで祈ってもらうがよい」(ヤコブ 5章14節)


「病者の塗油」の対象

病者の塗油はかつては「終油の秘跡」(extrema unctio)と呼ばれていたが、近年では対象を臨終の者に限らず行われるという意味の「病者の塗油」という名称になった。秘跡は臨終に伴うだけではなく、病気や老齢などで死に直面している人達も受けることができる。現代におけるターミナル・ケア、スピリチュアル・ケアの伝統的な方法のひとつといってもよい。なお、プロテスタントでも塗油を行うことはあるが、カトリックの聖書解釈には否定的で、洗礼と聖体以外の秘跡自体は存在しない。


「病者の塗油」の儀式の内容

秘跡を行うのは司祭や司教といった高位の聖職者である。儀式次第は簡単に述べると、神への祈り(回心の祈り)、聖書の朗読、そして塗油が行われる。次に聖体拝領の儀式、最後に祈りと祝福が行われて終了する。メインの塗油は司教が祝福して「祝別」した聖なる香油を病者の額と両手に塗り祈りが捧げられる。聖体拝領はキリストの血と肉とされるパンとぶどう酒を分ける儀式で、病者の容体によって拝領ができる状態にのみ聖体が授けられる。

司祭以外にも信徒による塗油の儀式も存在する。祝福され「祝別」された油を病気の家族などに塗るということでは、「病者の塗油」の秘跡と変わらないが、これは儀式ではあっても「秘跡」ではない。秘跡はあくまで神と人間の間を取り次ぐ司祭・司教が行うものであり、信徒が使う油は「準秘跡の病者の油」と呼ばれ、秘跡に用いられる油とは区別される。これは非常に重要な点で、儀式の際にも信徒は相手にこれは秘跡ではないと明確に説明しなければならない。秘跡は神への取り次ぎの儀式であり誤謬は許されないからだ。

こう書くと司祭が特権階級のようにも思えるが、神と人間の間を取り次ぎという権威は、衰弱した病者には頼れる存在ではないだろうか。神の権威を纏った司祭が祈りと共に聖なる香油を塗る時、病者はイエスに直接触れられているのと同じなのである。また、一般の信徒でも秘跡に準ずる行為を施すことが認められているのは、寄り添うだけしかできない家族に力を与えるものだと思われる。

「病者の秘跡」は「祝福」である。キリスト教では死は決して敗北でも苦痛でもなく、来るべき時が来て神の国に旅立つの日が訪れた、祝福されるべきものなのである。「病者の秘跡」は治療するためのものではなく、神の祝福の儀式ということになる。また、非信仰者のための「緊急洗礼」も用意されている。秘跡はカトリック二千年の歴史が練り上げた救いと癒しのシステムである。


一方、仏教・神道はというと

こうしたキリスト教()カトリック)のシステムと比較して、我が国の仏教や神道におけるターミナル・ケアのシステムは脆弱である。仏教では「ビハーラ」という終末期患者のための活動が行われているが世間に浸透しているとはいえない。元々仏教は葬式のイメージがあり、病院に僧侶が出向くこと自体憚られることが多いなど課題は山積みである。

現在の「葬式仏教」は鎌倉新仏教(浄土宗、臨済宗など)の僧侶が、死をケガレとして打ち捨てられていた遺体を供養したことなどから始まった。

イエス・キリストもまた触れることすら恐れられていた重度の皮膚病の患者に直接触れることで治癒させている(マタイ8章3節、ルカ5章13節など)(。この慈悲の行為が塗油の秘跡に引き継がれているのだ。

一方、仏教でこうした形式が構築される展開がなされなかったのは、神道との役割分担による空白ではないかと思われる。日本では主に、神道は結婚、出産などのハレの場を司っている。つまり仏教が死を、神道が生を分担しているのが日本の特色であり、その狭間にいる病者や老齢者のことはあまり考慮されていないのではないか。


最後に…

医学がどれだけ発達しても「延命」の技術に過ぎない。医学の限界のその先に必要なものが宗教だ。カルト宗教であれ、インチキ霊能者であれ、それで当人が救われるなら良いではないかとの向きがある。周囲への影響などを考えると自己中心的で無責任にも思える考えであるが、これが終末期患者となると認めざるをえないだろう。今もどこかで最期の救いを求めている人がいる。現代社会において行き詰まりが指摘されるキリスト教だが、日本の宗教者がお布施の獲得より大切なことを学ぶべき点は多い。


ライター 渡邉 昇
病者の塗油―カトリック儀式書

病者の塗油―カトリック儀式書

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