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【中秋の名月】古くから言い伝えられている月の兎と仏教説話

夜に虫の声が聞こえてくると、月が美しいと感じるようになる。十五夜といわれる中秋の明月は旧暦の8月15日の月を指す。日本は中国から月見の文化が9世紀ごろに伝来し、月見の宴などを催し、庭から美しい月を楽しんだようだ。また、徐々に農民の生活にも広まり五穀豊穣を願って十五夜にお団子をお供えしたのが、お月見団子だそうだ。


「月には兎がいる」という伝説

十五夜のイメージとして餅つきをしている兎の絵をよく見かけるのではないだろうか。月の陰が兎に見えるのは日本だけではなく、月に兎がいるという伝承は世界各国に逸話があるようだ。中国では臼で秘薬の材料を打って粉を作っているといわれているが、日本では餅をついているとされ、そこから餅付きと望月(満月)を掛けているのだとか。

「月の兎」として仏教の説話の中にも兎が出てくる。「月の兎」は仏教説話である「ジャータカ」にみられ、日本に渡来し「今昔物語」などに収録されている。


「今昔物語集 巻5第13話 三獣行菩薩道兎焼身話 第十三」の要約

昔、天竺に兎と狐と猿の獣がいました。それらは、とても誠実な心を持っており、菩薩の修行を行っていました。「我々は前世で重い罪を犯して今は獣として生を受けてしまった。現世では身を捨てて良い行いをしよう」と。
帝釈天はその修行ぶりに感心しつつ、老人と化して三獣を試してみようと思いました。
老人と化した帝釈天は三獣に「私はヨボヨボの老人で何もできない。どうか養ってくれないか」と尋ねました。三獣は快く引き受けました。
狐は人里から食べ物を探し、猿は木に登り山の実りをせっせと老人に化けた帝釈天に運び、満足させました。しかし一方で兎は食べ物を捜し当てる事ができません。その兎に対し、狐と猿は嘲笑し、バカにします。しかし相変わらず兎は努力が身を結ばずに何も食料を手に入れる事が出来ません。
兎はある日、意を決して老人に火を起こしておいて待ってもらうように頼みました。その日猿と狐は木を集めて火を起こし、老人と兎の帰りを待っていましたが、兎は何も持ち帰らず手ぶらで帰ってきました。その姿に狐と猿は憤りました。何も持って帰ってこないのに、火を起こさせるとは!と。兎は言いました。「私には皆様に食料を探して持ってくる能力はありません。そこで、我が身をこの火で焼いて食べる事で捧げます。」と。その瞬間、兎は火に飛び込み自らの命と引き換えに自らの身体、肉を食料として捧げました。
その焼け姿を見て老人、所謂帝釈天は、兎を月に移し、月の中にある雲のような陰影は火に飛び込んだ兎の象徴であるといわれるようになりました。


月と私たちの心情

月は我々にとって最も身近な天体であるとされていると同時に、月には浄土の地のような意識があるように思える。月と兎にあるように、別の天体でありながら、亡骸になった兎を月に移し十五夜の時期に我々は美しい満月の中に兎の形を見出すことは何か尊い命を感じているようだ。
ただ、満月が美しいものと崇められるとともに、あまりにも大きな月で恐ろしく感じる事もないだろうか。


人間の生命に月の満ち欠けが関係する!?

月の満ち欠けに合わせ潮の満ち引きが変わるように、人間の生命にも関係があるとされる説がある。満月というのは何かとパワーが出て行動的になるようだ。赤ちゃんが生まれることが多いとされるのが満ち潮の時、満月の日であり、逆に亡くなる人が多いのが引き潮、新月の日という謂れがある。代表的なものとして、古来から使用されている死期の時刻を知る表、知死期は月の出入りと潮の満ち引きにより編み出された。

月とは不思議な関係があるように思う。色々な逸話を創造し、人の生命をも左右しているのかもしれない。ただ、忘れてはいけないのは、新月で潮が引いてもいつか月は満ちていき、満たされていくであろう。月が身近に輪廻転生として私たちを照らしているのかもしれない。


ライター
月のランプ

月のランプ

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