葬儀の場においてその中心を占める象徴的な存在といえば遺影ではないだろうか。参列者は遺影に迎えられ、遺影に見送られる。棺桶に眠っている遺体に接するよりも、遺影を見て手を合わせ、遺影に向かって弔辞を述べる。著名人の本葬ともなれば巨大な遺影がその宗派の本尊かと思うほど会場を圧する迫力である。家の仏壇も本尊を差し置いて位牌と遺影が中心を飾っている。その遺影の内容も時代と共に変わってきたようだ。
遺影の意味
出棺の際に遺族が持つ序列は基本的には位牌・遺影の順である。火葬後は遺骨・位牌・遺影となる。故人そのものの遺骨、魂の依代たる位牌に次ぐのは当然であるが、生前を偲ぶのはやはり遺影だ。遺族にとっても参列者にとっても記憶の中に生きているのは故人の骨でも、目に見えぬ魂でもなく、あの「顔」、その「顔」、あの日のあの「顔」である。
遺影選びは難しい
人にもよるが遺影を選ぶのは難しい。生前に用意している人もいるようだが、死後に遺族によって選ばれることがほとんどだろう。
例えば病床に着いている家族に対しては遺影どころか死について考えることすら憚るだろうし、死後は間もない遺族が、急遽の事態に冷静ではいられない内に選ぶものである。しかし突然の訃報であればそれどころではない。必然的に無難なものが選ばれることが多くなる。
昭和の昔は、運転免許証のような真っ正面を憮然とした表情で見据えたものが多かったが、そうした事情故だったのかもしれない。それが最近では笑顔や、その人らしい表情のものが選ばれるようになってきているという。遺影が故人を偲ぶためのモニュメントであるとすれば、さらに一歩進んでスナップ写真のような日常的な風景を採用するのも良いのではないだろうか。
スマホ普及による写真の価値の変化とアナログ写真
スマホの普及で写真の価値が下がったとよく言われる。ポケットから気軽に取り出し、何100枚も撮影ができ、失敗すれば消去すれば良い。それゆえ、一枚一枚の重みがなくなったということだ。だがそれも考え方次第だろう。
筆者は10歳まで住んでいた街のことを時折思い出す。団塊ジュニアである自分の少年期は、いわゆる昭和の風景が少しずつ失われつつありながらもまだまだ残っていた。しかし当時を偲ぶ材料は手元にはほとんどない。なぜならかつて写真は貴重なものだったからだ。フィルムも安くはないし現像代もかかる。一枚一枚がまさに真剣勝負で無駄な写真を撮る余裕はなく、必然的に旅行やら成長日記やらが中心となる。カメラ自体も重いので、何気ない生活のスナップなどを気軽に撮ることはほとんどない。
まして家や、部屋、往来などの写真などありきたりな、街の風景など撮ることは、よほどの写真愛好家でなければまずなかった。子供の頃の自分の背景にかろうじて当時の様子が偲ばれるだけである。
80年代末期にはフィルムカメラとデジカメの過渡期といえる「写るんです」がブームになり、写真の重みはかなり軽減されたが、やはり「無駄な一枚」を撮る余裕は中々生まれなかった。
デジタル写真が生み出した写真としての新しい価値
そうした事情もデジカメの登場で劇的に変わる。ちょっと綺麗な夕陽を、たまたま目についた猫の集会を、撮る。そういうことができるようになった。シャッターチャンスを待つ必要はない。「フィルム」は何百枚とある。とり損ねたら消去すればよいのだ。これがさらに携帯、スマホになり、より手軽になった。
放課後のマックで友人たちとスナップを撮る高校生、キッチンに立つ妻の後ろ姿、それに気づいて振り向く表情をなんとなしに撮る夫。写真の大量生産時代の到来である。
「大量生産」と書くと無個性などの語感があり、あまり良いイメージを持たれない。確かにアナログ時代に比べ「一枚」の価値は下がっただろう。その代わりに何気ない、普通の、あたりまえの風景が、表情が残される時代になったのだ。
これはこれで悪いことではない。一見無価値に思える雑多な100枚、1000枚の写真の中には、とりすました記念ポーズや非日常的な風景とは違う、「あの頃」の「いつも」が生きている。
かけがえのない雑多な一枚
デジカメ、スマホによる写真の大量生産とは、つまりは日常の思い出、ありのままの記憶を残す行為の生産である。人は失って初めて、なんでもない毎日の大切さに気づく。空気のように感じていたあの人が、かけがえのない存在であったことに気づく。
これからは遺影もそのような一枚を使ってもよいのではないか。よそいきの一枚ではない、皆が知っているなんということもない、雑多な一枚を。その一枚は、故人と過ごした自分たちの在りし日の風景である。そして故人との関係によっては初めて知るその人の表情でもある。本来、別れの日である葬儀が新たな出会いの場になるかもしれない。