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ゾロアスター教徒だったフレディ・マーキュリーの葬送とは

2018年度のアカデミー賞主演男優賞は「ボヘミアン・ラプソディー」で伝説のロックバンド「クイーン」のリードボーカルだった「フレディ・マーキュリー」を演じたラミ・マレックが獲得した。
フレディはステージ上の迫力あるパフォーマンスで人気を博していたが、ゲイであり1991年エイズのため45歳の若さで亡くなった。莫大な遺産の大半が元恋人で友人のメアリー・オースティンに贈られ、ゲイの恋人ジム・ハットンも一部を贈られた。


ゾロアスター教徒のことをパールシーと呼ぶ

ザンジバル島生まれのフレディの両親はインド出身で熱心なゾロアスター教徒のパールシーであったので、フレディもゾロアスター教徒であったが、ロックのイメージと合わないため出自を語らず、ファルク・バルサラという名もフレディ・マーキュリーに改名してしまった。

10世紀頃、ペルシャからインドに移住してきたゾロアスター教徒は「パールシー(ペルシャから来た人)」と呼ばれており、インドでは少数だが富裕層が多く、タタ財閥の一族や指揮者のズービン・メータもパールシーである。


ゾロアスター教とはどのような宗教か

ゾロアスター教は紀元前12世紀から紀元前9世紀頃、イラン高原の古代アーリア人の宗教をもとにザラスシュトラ・スピタースが創設した世界でもっとも古い善悪二元論的な宗教である。光(善)の宗教で火を尊ぶため「拝火教」とも呼ばれる。
その教えは「この世は善と悪の闘争の舞台であり、人間存在は善の戦士である。世界の終末には救世主が現れて、必ずや善が勝利するであろう」というものである。

3世紀のサーサーン朝ペルシャでは国教となったほどの勢力であったが、7世紀前半以降、イスラム帝国の侵略とアーリア人のイスラム教への改宗で衰退し、その活動の中心はインドに移った。
インドのパールシーは約8万2000人で、その殆どがムンバイに住んでいる。因みにザラスシュトラの英語読みがゾロアスターで、ドイツ語読みはニーチェの著書「ツァラトゥストラかく語りき」のツァラトゥストラである。


ゾロアスター教の葬送はどのようなものか

本来、ゾロアスター教では死体は道端に放置し、ハゲワシに喰わせる鳥葬であったが、インドでは「沈黙の塔」と呼ばれるタワー型のタクマ(磨崖横穴)を建て、その上の開口部からハゲワシが自由に侵入できるようして、遺体を食べさせ直射日光で乾燥させるようになっている。

現在では、この風習もハゲワシなどの猛禽類が減少して、遺体も長期間放置されたままになり、腐臭が問題化している。そこで遺体を燃やさずに分解を進めるための巨大な太陽光反射器が導入されたが、この方式には批判が多く議論が続いている。


フレディは鳥葬にされたのか

フレディの葬儀はロンドンのケンザル・グリーン霊園で執り行われた。参列者は家族、メアリー、ジム、クイーンのメンバー、エルトン・ジョンなど35名で、ゾロアスター教の習わしに沿って行われた。
墓石には改名前の名前が刻まれている。遺体を自然にさらして鳥に食べさせることを違法とする国が多いので、ヨーロッパのゾロアスター教徒は火葬を選び、その遺灰を自然にまく人が多いようだ。フレディも火葬にされ、その遺灰は生涯の友人であるメアリーがフレディとの生前の約束にもとづきある場所にまいたとのことだが、詳細は明らかにされていない。


ライター 三宅 薫
鳥葬の国―秘境ヒマラヤ探検記

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