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エンバーミング~処置をしないという選択~

エンバーミングとは遺体に滅菌防腐処理をして感染症リスクを軽減したり、埋葬までの保存期間を延ばしたりする衛生保全処置のことである。専門的な技術により病気やケガで失われた故人の面影を元気だった頃に近い状態に復元することもできる。 

エンバーミングの専門技術者はエンバーマーと呼ばれる。日本のエンバーマーの第一人者である橋爪謙一郎さんは、その著書の中でエンバーミングがいかに遺族の悲しみをケアするのに役立つのかというエピソードをたくさん紹介している。しかしその中に、橋爪さんがエンバーミングできなかった事例がひとつだけある。その事例を紹介しよう。


永遠に別れたくないからという依頼理由

橋爪さんはエンバーミングの依頼者である遺族から、処置後の遺体はどのくらいの期間自宅で保管できるのか、と何度も確認される。できるだけのことをしたいと思った橋爪さんは安置する予定の期間を尋ねた。
すると遺族は「亡くなった母親は自分の全てだった。すぐに別れるなんてできない。」「エンバーミングすれば何年もそのままの状態が保てると聞いたことがある」「埋葬の予定はない」と言うのだ。
しかし、これでは処置することはできない。橋爪さんもメンバーである日本遺体衛生保存協会(IFSA)の自主基準に抵触する。50日以内に火葬もしくは埋葬する確約がないと処置はできないのだ。


「あなたの人生が犠牲になります」

IFSAがそのような基準を設けている理由は、日本の宗教や習俗を尊重すると同時に、遺族が遺体に執着するあまり自分の健康を蝕んでしまうことを避けるためである。また橋爪さんは、エンバーミングの目的は遺族が故人と心置きなくお別れできることで、悲しみから立ち上がる手助けをするものだという信念があった。橋爪さんは思わず「ご遺体に執着していては、あなた自身の人生が犠牲になります。」と遺族に訴えた。愛する人の死に向き合わないことは感情に蓋をすることだ。生きることに向き合わないのに等しい、と橋爪さんは考えたのだ。


エンバーミングは行われなかった

結局、3時間の話し合いの末にエンバーミングは行われなかった。話し合いの詳細は著書で明らかにされていないが、遺族は遺体を自宅に保管することを諦めたのであろう。橋爪さんはエンバーマーとして、遺族が死と向き合うことをエンバーミングが妨げることにならないよう、この一件を忘れることはないと書いている。


死後の腐敗に対する嫌悪がエンバーミング技術を進化させた

青森中央短期大学の清多英羽准教授は「死のポルノグラフィー化と教育」という論文の中で、死して腐るということへの嫌悪感がエンバーミングの技術を進化させた可能性にふれ、これは自然の一部としての人間の性質から目を反らし続けることだと指摘している。


死と生が分断されている

また、現代社会では「死」の取り扱いが専門業者に託される分、死者と遺族の間に一定の距離が生まれることに言及し、自然な「死」の様子が遠くなりタブー化されることは、同時に死に向かって衰えゆく人、「死を帯びるもの」との関係性を人々が疎み避けることにつながると論述した。死を直視できないことは死にゆく人を孤立させ、自身や家族の死を目前にした人々の不安を増大させることでもあるのだ。


エンバーマーの役割と選択

事故や災害の場面でもエンバーマーは活躍する。故人の尊厳を守り、愛する人の損傷した体にショックをうける遺族の心を安らげる為だ。また、遺体には様々な感染症を引き起こすウイルスや細菌が繁殖する。エンバーマーは遺族が遺体に触れて別れを惜しむことができるように、滅菌し防腐処理するのだ。 

橋爪さんは「エンバーミングは遺族の悲しみのケアするためのもの」だと強調する。だから、エンバーミングが遺族のその後の人生につながらないならば、それはエンバーマーの仕事をしたことにはならないと考えるのだ。その信念は、時にエンバーミングをしないほうがいいという選択を導き出すこともあるのだ。


参考文献

2009年 橋爪謙一郎「エンバーマー」株式会社 祥伝社 
2014年 清田英羽 教育思想(42)17-32 


ライター 磯部
選択の科学

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