街中の街路樹が行政によって切り倒され、トラックに乱暴に積み込まれるのを見た時「まだ生きているのに可哀想だ」と、とても悲しい気持ちになった。台風でなぎ倒された木が、根元から切断されたのを見た時も「切らずに植え替えてあげたらいいのに」と、同じ気持ちになった。植物も、人間や動物と同じ生き物であり、いつか必ず死は訪れる。しかし、植物の場合は枯れたと思っても水をあげるとまた新しい芽が出てくる事もある。植物は、一体どういう状態をもって「死」となるのだろうか。
植物の死の定義
鉢植えの植物にうっかり水やりを忘れたり、または水をやり過ぎたせいで枯らしてしまった経験は、多くの人にあると思う。そうかと思えば、特別な事は何もしていないのに、樹齢何百年と生き続けている樹木もある。
人間の死は、呼吸の停止、心臓の停止、瞳孔の拡散の3つの兆候をもって死とする「三兆候説」と、全脳の機能喪失による「脳死説」があり、その明確な定義はないが、人間や動物と違って「個体」の判別が難しい植物の死は、それ以上に定義するのは困難だ。では「細胞」レベルで考えればどうだろうか。
植物は、成長に必要な水と日光が断たれた状況に置かれた時、そこから「死」が始まる。栄誉補給が断たれた植物は、細胞内の溶液の蒸発量が給水量を上回り、どんどんしおれて行く。そして、全ての細胞から「膨圧」と呼ばれる外へ膨らむ力が失われ、完全に成長を出来なくなった時、植物は「死」を迎える。また、樹木が根元から伐採された時、切り倒された木は根からの栄養補給が失われ、成長出来なくなるため死んだ状態となる。
植物の自己消去プログラム
植物は、枯れたり、切断されたりした事により死を迎えたように見えても、切り倒された木の枝を挿し木すれば、そこから新しい根が生えて成長する場合がある。その他にも、株分けによって一方が枯れもう一方が成長したり、地表部分が枯れても地下部分では生きている球根など、多種多様なケースがあり、植物の「完全な死」を定義するのは、やはり非常に難しい。
植物の「死体」をあえて挙げるとすれば、それは「材木」くらいだろう。さらに、植物には驚くべき能力がある。植物は、ウィルスに感染した時、感染した部分の細胞を自ら枯らして感染の拡大を防ぐのである。この、植物がウィルスを道連れに自殺する仕組みは「過敏感細胞死」と呼ばれるもので、植物の遺伝子に予め組み込まれた自己消去プログラムだ。ウィルスに感染した時、人間や動物は免疫力が働いてウィルスを撃退してくれるが、植物には免疫力が存在しない。それが、植物にこのような能力が備わっている理由である。
植物の驚異の生命力
植物の「過敏感細胞死」のように、予めプログラムされた細胞死は「アポトーシス」と呼ばれ、人間も含む多細胞生物に見られる現象である。オタマジャクシがカエルになる時に尻尾が無くなる事や、人間の胎児の指が5本指に形成される過程も同じくアポトーシスだ。しかし、それらは必要のなくなった細胞が自ら死滅して行く現象であり、ウィルスに感染した細胞を自ら殺す植物とは事情は大きく違っている。脳や免疫力を持たず、自らの一部を犠牲にしてまで生き続ける植物の生命力は、人間や動物以上に強靭だと言えるだろう。