誰しも、今までの人生で何度かはお葬式に参列した事があると思います。
子供の頃は祖父、祖母や親戚の誰かが亡くなって。大人になってからは、例えば会社関係でのお付き合いの中で。そういったお葬式の場では、特に深く考えることなく、失礼のない服装で周りの方々と同じようにお焼香をして、手を合わせて帰ってくればよいだけでした。
それがいつか、特に長男の場合、ただの参列者から身内の葬儀を取り仕切る当事者の立場に変わる時が来ます。
そのターニングポイントが『親の死』でしょう。
特に父親が亡くなったその瞬間、葬儀を取り仕切る一家の家長が交代するわけですから。
親が例えばそれなりの高齢だったり、長患いをして病床に就いていた場合は、やがて訪れる葬儀に対して準備ができるというものです。しかし私(長男)の場合、父親がまだ亡くなるには若く突然だったこともあり、全く準備のないままその時を迎えてしまったのでした。
判断能力がない状態ではだまされてしまうのでは・・・
父の訃報を受けた時、私はすでに実家を離れて遠方に暮らしておりました。電車、飛行機を乗り継ぎ実家に駈けつけるのに、急いでも半日を要する距離です。今の時代、そういう方も多いのでは?電話口でうろたえ取り乱す母に、まずは葬儀に関して、私が着くまで何も決めるな、と釘を刺して家を出ました。私には姉が一人おりますが、やはり同様に取り乱しており何かを任せられる状態ではありませんでした。
母に、何も決めるな、と言ったのには理由があります。それは以前にテレビのニュース番組で観た、病院と結託して暴利を得る悪徳な葬儀屋、という特集が頭を過ぎったからです。母が判断能力を失っているのにつけこまれて、いいようにされるのでは、という不安を覚えたのです。ちなみに私の家の墓は、元々父が生まれ育った他市にあり、当時の実家の側に縁のあるお寺さんや葬儀社は皆無、こういった事に関して全くの白紙状態でした。
あとは為すがままに・・・
途中で母から、父の友人の紹介で、ある葬儀社に事態をすでに預けてしまった、という連絡が入りました。今は全て、その父の友人なる人物と葬儀社が段取りを決めている、と聞き、全く状況が読めない上に、移動中で何もできないことに、私は大いに焦りました。
夕方になってようやく実家に辿り着いた私を待っていたのは、初対面の父の友人と、葬儀社の方でした。正直この時私は、彼らを疑いの目で見ていました。父の死のショックで、気持ちに全く余裕も無かったですしね。しかし喪主である母がもう依頼済みで、斎場や時間も決まっている以上、このままやるしかない。
そして、遺体との対面や家族との話もそこそこに、葬儀社の方との細かい打ち合わせが始まりました。祭壇、お棺、花、香典返しといったものから料理まで、要はカタログの中から値段を見て決めていく作業。その値段がはたして適正なのか、知識のない私には全くわかりませんでした。彼らを信頼していいのかもわからず、とにかく機械的に全てを決めていき、翌日からの葬儀に臨んだのでした。
なんとか終えた葬儀は、可もなく不可もなく、ごく普通のものだったと思います。これなら父が喜ぶ、とかそういった事を考える余裕もなく、ただ忙しくしていた、という感じでした。
生前に調べておけば、父との別れをもっとしっかりできたかもしれません
今になって思うのは、予めある程度調べて、事を託す葬儀社なども目星をつけておけば、父との別れをもっとしっかりできたかな、という気がします。
ああいう状況で、あんな疑いの目で人を見るのは嫌なことですしね。
突然やって来るかも知れない葬儀の当事者という立場、せめて諸々の費用の相場ぐらいは事前に知っておきたいものです。