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武蔵野市御殿山2丁目のむらさき橋の側にある「犬むすびの松」を調べてみた

2019(平成31)年2月28日に不動産情報サイト『suumo』の「関東 住みたい街ランキング2019」が発表された。栄えある第1位は横浜。2位は渋谷区の恵比寿。そして3位は武蔵野市の吉祥寺だった。これら3つの街は関東圏在勤・在住の人々にとっての「住みたい街ランキング」の常連だが、1994(平成6)年からの20年間で、小売業の売り上げが半分近くまで減少するなど、「低迷」が指摘されているものの、まだまだ多くの人を惹きつけ続けている吉祥寺の魅力とは何だろうか。


吉祥寺の魅力とは

まずは、交通の便のよさ。渋谷まで京王井の頭線で1本。急行なら16分。新宿まで、JR中央線で1本。快速で17分。次に、新宿や渋谷などの巨大ターミナル駅に出なくても、ファッション、家具、家電製品などの日用品を買うこと、グルメを楽しむことができること。更に「オシャレ」「通」な街でありつつも、「よそ者」を寄せつけない気取った雰囲気はない。

また、若者文化の最先端の街、渋谷や原宿などのように、国内外の大勢の観光客でごった返していない。しかも、井の頭公園のような自然環境にも恵まれており、上野や鎌倉、京都・奈良のような「観光地」化し、有名になり過ぎていることで、人の大渋滞、食べ歩きによるゴミ問題、騒音などで、地元の人の生活に支障が出るほどでもなく、とても落ち着くことができる。しかも新宿歌舞伎町、六本木などのように、「派手」で「怖そう」な人たちが徘徊する、巨大な「夜の街」があるわけでもない。中央線の国立駅周辺同様、文教地区でもある。


かつての吉祥寺は

このような吉祥寺を含む、かつての武蔵野一帯には原野が広がり、キツネやタヌキばかりではなく、冬の大雪の際は、はるばる秩父の山奥からイノシシが現れたなどと言われていたほどだった。江戸幕府誕生以降、江戸市中の発展に伴い、人口急増・過密が問題になっていたところに、1650年代(慶安〜明暦期)に市中を灰塵に帰す大火が相次いだ。それを受けて幕府が、武家屋敷の配置転換や火除け地の確保など、市中の再開発を行なったため、多くの町民・農民が立ち退きを余儀なくされた。武蔵野地域の開墾、人々の定住はその時期に始まったのだ。だがこのあたりは、太古に火山灰が堆積してできた関東ローム層に覆われていることから、水源が乏しく、土壌もやせていた。そのため、農業といっても稲作には向かず、主に穀物ならば大麦、小麦、ヒエ、アワ、キビなど、そして大根やウリなどの畑作が行われていた。しかもその際、ぬかや下肥(しもごえ)、馬糞などの肥料を補う必要があった。とはいえ、もともと江戸市中で商売を営んでいた人々が移住したところでもあったため、主に江戸時代後期以降からは、農業のかたわら、人通りの多い五日市街道や玉川上水の橋周辺で、雑貨類の小売りや、食材の煮売りを行なったりする人々が多かったという。


吉祥寺と三鷹のちょうど中間、御殿山2丁目にあるゴヨウマツ「犬むすびの松」

このような歴史を持つ吉祥寺周辺をぶらぶら歩いてみよう。活気溢れる駅前周辺から井の頭公園を通り抜け、玉川上水に沿ってJR三鷹駅方面にしばらく歩いていくと、「面白い」ものがある。住所としては、武蔵野市御殿山2丁目になるが、「むらさき橋」のそばに、「犬むすびの松」と呼ばれる2m前後のゴヨウマツがある。


犬むすびの松があった一帯はかつてオオカミの畑被害にあっていたが

そしてそこから少し北に進んだところ、現在は武蔵野市中町(なかちょう)だが、かつてその一帯は8丁(約8ヘクタール)の原野が広がっていたことから、「八丁野(はっちょうの)」と呼ばれていた地域がある。八丁野のある豪農の家には、幹の太さが20余尺(約6メートル)にも及ぶ立派なカヤの木があった。その木の下に棲みついたオオカミ夫婦が、子どもを育てていた。常日頃、やせた土地で丹精を込めて育てていた作物をキツネやタヌキ、そしてオオカミが荒らしたりしていたのだが、村人たちはいつしか、木の下のオオカミに残飯を与えるようになった。するとオオカミも人々に馴れるようになり、いつしかそれを待ちわびているような様子を見せるようになった。それに伴い、オオカミが畑を荒らしたり、人に害を与えたりすることがなくなったばかりでなく、キツネやタヌキも姿を見せなくなっていったという。


人々を助け、共存共栄していたオオカミが亡くなったことで「犬むすびの松」と名付けられた

そんなとき、オオカミ夫婦の片方が亡くなった。人々はそれをかわいそうに思い、玉川上水脇のクロマツの下に埋めた。その松は「犬松(いぬまつ)」と呼ばれた。更に豪農の家のカヤの木の下には、オオカミを祀る小さな祠が建てられた。また元来、八丁野を開墾・移住したのが奥多摩の人々だったことから、現在、「関東のパワースポット」として有名な、埼玉県秩父市の三峯(みつみね)神社の「お犬(いぬ)様」を勧請し、オオカミの命日とされる4月15日に毎年、八丁野を挙げての祭礼が行われるようになった。


オオカミへの供養儀礼は1940年まで続けられた

祭礼の折、村人たちは赤飯を炊いて、松の木の下のお犬様にお供えする。そしてそのお下がりを元ダネにして、改めて赤飯を炊き、「お犬様のむすびだよ」と言いながら、八丁野の人々に配った。または赤飯の代わりに白米を炊き、にぎり飯にする場合もあった。特に子どもたちは普段、麦やヒエなどの雑穀しか口にできなかったため、この日に米が食べられることを正月同様、心待ちにしていた。しかも村人たちは、この「犬むすび」を食べることで、その年の厄除け、盗難除けなどのご利益がもたらされると信じてもいた。こうしたこの一連の儀礼は、当時20軒余りだったという村人たちの団結心を強める役割を果たしたという。この祭礼は、江戸から明治、大正を経て、第2次世界大戦前夜の昭和15(1940)年の春まで続けられた。


「オオカミ信仰」とは

昔の日本人は、今日でこそ日本国内では絶滅してしまったとされる、イヌ科の哺乳動物である「オオカミ」のことを、「山犬(やまいぬ)」「山の犬」、または「お犬様」と呼ぶなどして、今日のように「イヌ」と「オオカミ」を厳正に区別して言うことはなかった。ただ、普通の「イヌ」のようにペットとして飼い馴らすというよりも、「山の神の眷属(けんぞく。使者・従者のこと)」として敬いつつも、現実的に荒々しい性質を有していることから、人間に災厄をもたらす存在として忌避されてもいた。とはいえ、秩父の三峯神社や遠州(うんしゅう、現・静岡県浜松市)の山住(やまずみ)神社近郷の人々は、オオカミを「大口真神(おおくちのまがみ)」として祀り、その姿を描いたお札を神棚や門口に貼って、盗難除け、疫病除けのお守りとしていた。奥多摩の人々が移り住んだ八丁野だったからこそ、先祖代々のオオカミ信仰があったために、実際に身の回りにいたオオカミの家族を大切に扱った。そしてその死後は、亡くなったオオカミの年忌儀礼と旧来のオオカミ信仰が結びついて、「犬むすび」の儀礼が行われていたのだろう。オオカミが葬られていた「犬松」は1989(平成元)年に枯れてしまい、伐採された。そして「犬むすびの松」を偲ぶ「場所」は、現在の位置に移され、新たにゴヨウマツが植えられたのだ。


生きとし生ける物への葬送儀礼が今後も続くように…

今年3月19日に、香川県丸亀市の警察犬訓練所に、元嘱託警察犬で、ラブラドールレトリーバーのメス犬「きな子」の墓が三回忌を前に建てられ、去年6月に亡くなった娘の「こむぎ」と共に葬られたことがニュースに取り上げられた。こうしたことは、全国津々浦々で「よくあること」だろう。そして「イヌ」のきな子やこむぎと八丁野の「オオカミ」とは何の関連もないが、餌をやるなど大切にしてきた生き物が亡くなった際、葬送儀礼を行う、お墓を建てるなどを当たり前とする「風習」が、我々の社会に今もなお生きていることを示している。こうした我々の振る舞いや思いが、5月1日の新天皇の即位による新たな時代を迎え、更にその時代が終わった後も、ずっと存続し続けることを心から祈るばかりである。


ライター 鳥飼かおる
タトゥーシール オオカミ 特大

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