一生のうちで、喪主として葬儀を行う経験をする人はごく稀で、経験をしない人の方が圧倒的に多いだろう。ごく稀であるだけに、葬儀の手続きや手順に不慣れで不安であるから、葬儀に関する手引書や解説書は必需品で、数多くの書籍が出版されている。それに比べ葬儀業界に関する書籍の出版はそれほど多くなく、まして映画となると私の知る限り、野坂昭如原作の「とむらい師たち」と青木新門の「納棺夫日記」を元ネタにした「おくりびと」の2作品があるだけである。「おくりびと」はどのような経緯で映画化され、なぜ原作と原作者のクレジットがないのだろうか。
映画「おくりびと」とは
2008年に「おくりびと」が公開されてから、早いもので10年以上が経過した。日本アカデミー賞で作品賞、監督賞(滝田洋二郎)、主演男優賞(本木雅弘)、助演男優賞(山崎努)、助演女優賞(余貴美子)など10部門で最優秀賞を受賞した上、本場アメリカのアカデミー賞でも外国語映画賞のオスカーを獲得し、当時、大変話題になったものである。ところが、この映画には原作「納棺夫日記」と原作者「青木新門」のクレジットがないのである。
本木雅弘がオファーしたが、内容に齟齬があり、クレジット表記なしならば青木新門が映画化を許可した
「おくりびと」で主人公の納棺師を演じた本木雅弘が「納棺夫日記」を読んで感銘を受け、原作者の青木新門に映画化の許可を求めたが、脚本を読んだ青木氏は本木氏の真面目で礼儀正しい人柄を認めつつも、本の後半で親鸞の思想を借りて宗教のことを書いたつもりであったが、その部分が全くないこと、妻子を捨てて家を出て野垂れ死にした父と納棺師の子の最終場面が石文というアニミズム時代の比喩を用いて生と死が観念的に描かれていることなどを理由に難色を示し、「納棺夫日記」という題と原作者「青木新門」を使わないなら、脚本通りで映画化しても、後から文句はつけないと言って、原作者を辞退したからである。
映画は原作に忠実でなければならないのか
映画は原作者の意図に沿って、忠実に描かなければならないのだろうか。結論から言えば、映画と原作は別物である。映画はほぼ2時間という時間の制約があり、観客動員という興行的側面も考えなければならない。原作者の意図を尊重しつつも、どのように表現するかは脚本家や監督の構想と俳優の演技力に委ねられ、映像化されるからである。
例えば1960年に大ヒットしたアラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」はパトリシア・ハイスミスの原作と結末が正反対であるが、私は映画の方がはるかによかったと思っている。(原作では主人公は捕まらないので、4冊の続編で次々と犯罪を続けるのだ)
結果的に良い事尽くしとなった「おくりびと」と「納棺夫日記」
本木雅弘は映画の完成試写会の招待券を青木新門に送り、映画を観た青木新門は「それにしてもいい映画になったものだ」と言い、後日「今にして思えば、眼にみえない世界を映像化して眼にみえるようにするには方便を用いるしかないわけで、私の言い分には無理があった」と述懐している。「おくりびと」がアカデミー賞受賞後、「納棺夫日記」は数週間で40万部も売れたとのことである。
死が身近な人達
青木新門は周囲の強い反対にもかかわらず、どうして納棺師の仕事を続ける気持ちになったのか
わが国では古来より死や死者に関わる一切のものは「穢れ」として忌み嫌う思想が綿々と続いている。死や死者にかかわる職業としては医師や看護師、高齢者施設の職員や介護士、警察関係者、葬祭業者などあるが、葬祭業者だけが、今でこそいくらか希薄になってきたとは言え、穢れに関わり商売する職業として、周囲から白い目で見られ、そこで働く人々も自らを卑下し劣等感を抱いていた。
青木新門が納棺師を続けた理由
青木新門も叔父や妻から転職を強く説得され、悩んだが、偶然、昔の恋人の父の湯灌、納棺をした際、自分の仕事振りと存在が認められたように感じ、死というものと常に向かいあっていながら、死から目をそらして仕事をしてきたことに気がついた。
心が変わると行動も変わり、衣服を白衣に変え、礼儀、礼節にも気を使い真摯に仕事をするようになった。すると周囲の見る目も変わり、遺族に感謝や尊敬の気持ちが現れるようになってきた。遺族の信頼感を得て、仕事への使命感も出てきたのだ。そして数多くの遺体に接し、生と死について色々考えるうちに、宗教にたどり着いた。宗教書を読み漁るうち、特に親鸞に深く傾倒するようになり、今では体験にもとづいた宗教観について全国各地で講演会を開くまでになっている。