昔ながらの葬儀であっても、流行のものであっても送る者の気持ちがこもっていればそれでよい。棺の中のお人の気持ちは尊重したいが、諸事情で葬儀を省いて火葬して済ませるケースももあるそうだ。自らがお墓でなく散骨を望むということも聞く。冥福を祈るのに色んな形があってよいのではないか。形で送るものでもあるまい。盛大な葬儀も良し、内輪で送るのも良し。心から送ることができれば、それで良い。
家族葬の特徴や流行になってきた理由
花輪や篭盛りがずらっと並ぶ。葬儀にたくさんの人が参列する。弔電が読経をBGMに延々と紹介される。故人の人間関係が偲ばれる時間だ。そんな葬式が当たり前の時代もあった。今でも社会的に地位があった人であれば相変わらずの光景が観られるのだろう。しかし、最近の葬儀はこじんまりと少人数で行うものが人気らしい。
「家族葬」って言葉の響きが実に良い。この言葉をメディアなどで目にしたり聞いたりする機会が増えたように思う。「家族葬」という形がこれからの時代一般的と言われるようになっていくのだろうか。
時代の必然もあるのかも知れぬ。老人が多数を占める時代と共に冠婚葬祭の形も影響され変化していくのは自然の成り行きかもしれない。コミュニティが壊れて人間関係が希薄になってきたことも原因かも知れぬ。いずれにしても時代にあったものに変化していくのは良し悪しではなく「川の流れのように」ということなのだろう。
葬儀の準備をどうするか
葬儀の準備は遅すぎることはあっても早すぎるということはない。若い頃から準備できることが色々ある。会員制で葬儀費用を積み立てをするものがある。若い頃から始めれば金額も生活の負担になることはない。同じように生命保険に入っておくという方法もある。葬儀の準備は何も年寄りになって始めることではないということだ。
「ゆりかごから墓場まで」という言葉がある。北欧の福祉の充実を表した言葉だが、まさにこれからの人生は死んでお仕舞いではなく、葬式や墓場のことまで始末をつけて逝って終わりということになるのではないだろうか。日々の生活に追われてそれどころではない、というのが誰しもが持つ意見だろう。しかし、死に方は色々あるだろうが、齢を重ねて死ぬ際に既に準備がされていれば誰にも迷惑かけずに済む。人生の終わり方として「粋」ではないか。人生の終幕の段取りまで済ませておくなんて、観客の拍手喝采が聞こえてくるようだ。
最後に…
家族葬が増えるのには理由がある。今の時代亡くなる人のほとんどは超高齢者だから、社会とのつながりも薄い。必然的に参列者は家族親族になる。さびしいことだが90歳100歳の方に近しい人がそれほどいるはずもない。
家族親族主体の葬儀であれば誰に遠慮も気兼ねも無く、故人を送れることだろう。遺族は、挨拶に追われる通夜や葬式から逃れて、静かに故人を見送ることができるだろう。