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埼玉県の毛呂山町にある「延慶(えんぎょう)の板碑」を調べてみた

埼玉県南西部の入間郡毛呂山町(もろやままち)川角(かわかど)の越辺川(おっぺがわ)南岸にはかつて、崇徳天皇(すとく、1119〜64、在位1123〜1141)を祀る寺があった。

崇徳天皇といえば、勢力争いに翻弄された天皇のひとりである。父・鳥羽上皇より譲位させられた後に勃発した保元の乱(1156年)に敗れ、讃岐国(現・香川県)に流された。都への帰郷の思いも叶わぬまま、46歳の若さで悶死したと言われている。崇徳寺は、地元の人々の間では「しゅうとくじ」とも、「宗徳寺(そうとくじ)」とも呼ばれていた。

埼玉県の毛呂山町にある「延慶(えんぎょう)の板碑」を調べてみた

崇徳寺の成り立ち

言い伝えによると、崇徳天皇の近臣が流れ流れてこの地に隠れ住み、無念の天皇の霊を弔うために草庵を営んだ。寺には天皇の遺髪を納め、本尊として正観音(しょうかんのん。聖観音とも言う)を安置し、「金毘羅大権現」と尊称していた。その後、草庵に多くの人々が参詣するようになり、「白夆山崇徳院善応寺」と名づけられ、大伽藍を備える寺となった。

鎌倉時代には、源氏や北条氏から庇護を受けていたというが、1363(貞治2)年の苦林野(にがばやしの)合戦の際、兵火にかかり、寺の全てが焼け落ちてしまった。室町時代になり、足利幕府の管領(かんりょう。将軍を助け、政務を統括した者)・細川頼之によって、寺域が善能寺村(現・埼玉県坂戸市)に移され、「天龍山崇徳寺」として再建された。しかし戦国時代の騒乱の中で再び荒廃し、寺そのものがなくなってしまった。

崇徳寺があった地域の歴史

もともと越辺川流域は、古墳時代末期の6世紀末から7世紀にかけて、地域の有力者たちが住み、80基以上の古墳を造営していた。時を経て、平安時代末期から、武士団・武蔵七党の一角を占めた児玉党の小代氏(しょうだいうじ)の所領とされる地域となった。鎌倉時代になってからは、幕府がある鎌倉に通じる道が整備された。御家人であった毛呂郷(もろごう)の毛呂季光(すえみつ)は、1191(建久2)年の鎌倉大火の際は、「いざ鎌倉」の言葉通り、この道を通って、火災の翌日、真っ先に駆けつけたという。

鎌倉に通じる越辺川のそばの道は「鎌倉道上道(かまくらみちかみつみち)」と呼ばれ、沿道の小手指原(こてさしがはら)、女影原(おなかげがはら)、高麗(こま)、苦林野、笛吹(ふえふき)峠、菅谷原(すがやがはら)、高見原(たかみがはら)などは激しい合戦の舞台となった。

そもそも板碑とは

今日、埼玉医科大学川角キャンパスそばの林に移されているが、先に述べた崇徳寺内に立てられていた板碑(いたび)がある。「延慶(えんぎょう)の板碑」だ。

そもそも「板碑」とは、「中世に始まり、中世に終わる」と称され、鎌倉時代から室町時代前期に集中する、まさに中世という時代独特の宗教的な石像遺物のことである。特にその大半を占めるものが「武蔵型板碑」と分類される、「秩父青石(あおいし)」、すなわち緑泥片岩(りょくでいへんがん)でつくられたものだ。秩父青石の産地は、現在の長瀞町野上本郷(ながとろまちのがみほんごう)や小川町下里(おがわまちしもさと)に限られており、板碑が製作された後は、荒川を通って武蔵国全域に運ばれた。それゆえ、現在、埼玉県内だけで2万基を超える板碑が残っている。基本的な形状は、板状に加工した石の正面に本尊を表す種子(しゅじ、梵字のこと)・被供養者の名前・供養年月日・供養内容などを刻む。そして石の上部を三角形に尖らせ、二条線を施している。板碑は主に供養塔として立てられたが、それは死者の追善(ついぜん)供養のみならず、生前からあらかじめ死後の往生や成仏に役立つように供養を行う逆修(ぎゃくしゅう)を目的としている。まさに中世の人々ならではの、死生観や仏教への信仰態度を表している遺物なのだ。

延慶の板碑とは

延慶の板碑とは

延慶の板碑は、「延慶」の名の通り、延慶3(1310)年の建立で、高さ約3メートル、幅約80センチ、厚さ約10センチの大型板碑だ。正面には、胎蔵界大日如来を意味する種子・アーンクが蓮台と共に大きく彫られている。その下には金剛頂瑜伽(こんごうちょうゆか)の経文の偈(げ。仏の功徳を褒め称える詩)「帰命本覚心法身 常住妙法心蓮台 本来具足三身徳 三十七尊住心城」が4行に渡って刻まれている。更にその下に建立年、趣旨が続く。

それによると、建立者は「大檀那沙弥行真」と「朝妻氏女」で、文字が摩耗しているものの、「現世安楽後生善處」を願って建てたものである。昭和37(1962)年に移転する際、板碑の下から2つの壺が出土した。ひとつは高さ25.2センチ、最大径18.6センチ、底径9.8センチの古瀬戸の瓶子(へいし。壺の一種で、口縁部が細くすぼまる、比較的小型の器)と高さ16.4センチ、口径19センチ、最大径35センチ、底径12.6センチの古瀬戸水注(すいちゅう。主に茶道や書道で使用される、水を注ぎ足すための器)だった。しかも瓶子の方には、火葬骨が納められていた。

逆修供養塔の意味もあった延慶の板碑

逆修供養塔の意味もあった延慶の板碑

この板碑は、現代の我々が容易に考えうるように、「大檀那沙弥行真」と「朝妻氏女」の墓標として、崇徳寺内に存在していたものなのか。しかし「現世安楽後生善處」という言葉は、生きている人が死後を備えて行う、逆修の趣旨そのものなのだ。それゆえ現代のように、誰かを埋葬・供養するためだけに造立されたのではなく、先の2人がどちらの立場に立つのかは判然としないが、亡くなった人のゆかりの墓所に、その縁者が、追善の意味を込めた逆修供養塔を立てたと考えられている。

東西の幅50メートル、南北の幅65メートルの、ほぼ方形を保っていた崇徳寺跡の昭和63(1988)年9月に行われた発掘調査では、土中から板碑や骨が入った壺が複数出土した。そのことから、寺の敷地内に複数の墓群が存在したことがわかっている。堅牢かつ優美なつくりの延慶の板碑は、もしかしたら、寺内における、無数の墓々のシンボル的存在だった可能性もある。

歴史的モニュメントの価値

埼玉県の毛呂山町に限らず、今日の日本においては、「中世」「鎌倉武士」が生きた時代の痕跡は全く残っていない。しかしこの、延慶の板碑を通して、我々は遠い昔を思い浮かべることができるのだ。平成は終わり、間もなく新しい元号に変わる。必ずしも観光客を惹きつけるような派手さはないものの、当時を濃厚に物語る板碑のような歴史的モニュメントの数々が壊されることなく、これからも残り続けることを祈らずにはいられない。

参考文献

■小沢国平『修訂 板碑入門』1978年 国書刊行会
■毛呂山町史編さん委員会(編)『毛呂山町史』1978年 毛呂山町(刊)
■小川喜内『毛呂山風土記抄 神社と寺院』1981年 私家版
■小川喜内『毛呂山風土記抄 伝説』1983年 私家版
■『新編 埼玉県史 通史編 2 中世』1988年 埼玉県(編/刊)
■播磨定男『中世の板碑文化』1989年 東京美術
■梅沢太久夫「崇徳寺跡の調査」埼玉県立歴史資料館(編)『研究紀要』第13号 (29−51頁)埼玉県立歴史資料館(刊)
■『新編 埼玉県史 図録』1993年 埼玉県(編/刊)
■埼玉県入間郡毛呂山町文化財保護審議委員会(編)『毛呂山町資料集 第4集 毛呂山町の文化財』1993年 埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会(刊)
■『第6回特別展図録 発掘される板碑 〜地中からの語りかけ〜』1995年 毛呂山町歴史民俗資料館(編/刊)
■星野英紀「逆修」福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邊欣也(編)『日本民俗大辞典 上』1999年(478頁)吉川弘文館
■田代脩・塩野博・重田正夫・森田武(編)『県史11:埼玉県の歴史』1999年 山川出版社
■埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会(編)『歴史散歩 11 埼玉県の歴史散歩』2005年 山川出版社
■橋本義彦「崇徳天皇」平野邦雄・瀬野誠一郎(編)『日本古代中世人名辞典』2006年(536頁)吉川弘文館
■千々和到『日本史リブレット 31 板碑と石塔の祈り』2007年 山川出版社
■毛呂山町歴史民俗資料館(編)『新毛呂山町史』2010年 毛呂山町(刊)
■田村善次郎(編)宮本常一(著)『日本人の葬儀と墓 −最期の人生行事』2017年 八坂書房

ライター

鳥飼かおる(掲載日:2019/01/19 更新日:2021/01/14)

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