「人生を良い形で終わらせるための事前の準備」として、終活がブームです。終活の中で重要となるのが、"延命治療を望むか、など自分が希望する終末期の医療"に関して、"葬儀方法や埋葬や供養方法"について、また"親族たちへの自分の財産の相続を進めやすくすめための情報"などを、生前に記述しておく「エンディングノート」というものです。
生きているうちからそのようなことをすることは、死を意識させる行為で縁起でもない、といった気分になる人もいるでしょう。しかし終活イベントは人気があるようで、入棺体験や遺影撮影体験などは、楽しんで行う参加者も多いとのこと。終活は一つの死の疑似体験となり得て、死を疑似体験することは喜びを感じるものである、という話を聞いたことがあります。
生死をさまよう患者が体験する体外離脱減現象
疑似死体験(臨死体験)というものがそれです。アメリカでは1970年代に「死後の世界」に対して関心が集まり、大勢の男女や子供と臨死体験について聞き取りを行った医学者の書いた本が話題になったりしました。
臨死体験の典型的なパターンは、つぎのようなものです。
「生と死の間をさまよっている状態の患者が、治療中に体外離脱現象という自分が自分の肉体から抜け出す感覚が起こり、気が付くと天井に浮かび上がっていたり、ベッドに横たわる身体を見下ろしたり、または手術中のドクターの様子を客観的に眺めている自分に気付くといいます。
また"その自分"が、自分の過去の人生を走馬灯のように見て、かつての自分の人生における全ての瞬間を再体験させられたりします。
さらに、すでに死者となっている知人などが目の前に現れることで安らぎを覚え、死を受け入れようとする気持ちになったりするが、そこで"死者"から「ここはあなたの来るところではない!」などといわれ、追い返されることもあるといいます。
そして「蘇生して生き返る」のだそうです。
体外離脱と臨死体験と宇宙飛行士
不思議なことに臨死体験後、体験者は人格が変わり、「他人に対する同情心や寛容心が強まった」「暴力的だった性格が穏やかなものに変わった」「心が軽くなりその後の人生を楽しく過ごせるようになった」と述べる人達が多いのだそうです。
また"死に対して肯定的にとらえるようになった人達"も多く、死後の世界や精神世界に興味を持つことが多くなるそうです。
それは体外離脱をしたことにより自分のことを他人のように見たからではないでしょうか?人は精神的に成熟するためには、一度自分を他人のように客観的に見ることが必要なのかもしれません。
次の例もそれに似ているのではないでしょうか?
過去の宇宙飛行士たちの中には、宇宙から帰還した後、宗教者や哲学者に転向する例が少なくないそうです。
「宇宙体験をすることで広い視野を得たため、国籍の違いなどを問題にしなくなった」と発言する飛行士もいるとのこと。
それは今まで長い間慣れ親しんで自分が住んでいた地球を、宇宙空間から第三者のように客観的に見るという体験をしたわけで、地球という今までの自分の土地を超えて、一種のあの世から自分を見ている感覚を味わったのではないでしょうか?
生が自分だとすると、死とは第三者(他人)を意味するのかもしれません。そのため疑似死体験後、他人のために奉仕する姿勢になるのではないでしょうか?
または、生とは自分の今まで体験してきた過去の記憶つまり思考であり、死とは第三者的に過去の自分の思考から自由になった状態なのではないでしょうか?臨死体験の際、自分の過去の人生を走馬灯のように見させられるのは、「死んだあなたは今、自分の過去から自由になっている」と自覚させられようとしているのかもしれません。
いわゆる宗教者が他人に奉仕的であり、自己中心的でないのは、仏教ならば"無思考の状態になることがカギとなる"といわれる「悟り」という"自分"から解放される体験をしたからなのではないでしょうか?終活を通して一種の疑似死体験をしてみるのも、残りの人生を心軽やかに生きるきっかけになるのかもしれませんね。