結婚式とお葬式なら、お葬式の方が体験する回数は多いだろう。お葬式は、人との永遠の別れの場でもあるが、最愛の人との別れであったり、育ててくれた人との別れであったり、親しかった人との別れであったり様々である。そして、お葬式は参列する事もあれば、自分で主催つまり喪主を務める事もある。
葬儀の施主だけが喪主としての役割ではない。他にもするべきことは山ほどある。
私は喪主として両親を見送った。両親のお葬式は精神的に本当に辛いものだった。長い闘病生活の末に亡くなったこともあり悲しみはとめどない。また連日連夜の看病も重なっているため、疲労と闘いながら喪主を務めなければならなかったので、辛労辛苦はより一層だ。
喪主の役割はただお葬式を主催するだけでなく、参列者の対応や列席の順番決め、当日の食事の手配、さらにお葬式が終わってからも、お香典の計算や参列者への返礼、納骨や一周忌、三回忌と、心がなかなか休まらないものだ。
これが初めて喪主を務める人ならば、なおさらの事だろう。大事なことは、決して一人で抱え込まないだ。親戚や親しい方にも相談しながら、心をこめて故人を見送ってあげる事ができるよう願うばかりである。
わからないこともわからないという状態だった初めての喪主
初めて私が喪主を務めた父のお葬式の時は、わからないこともわからないという状態だった。長い看病生活もあって母は疲労し、私が一番しっかりしなければならない事はわかってはいたが、何せ本当にするべきことが全くわからないので、無力な自分に疲労困憊した。
焼香にかけつけてくださった参列者も、半分以上は全く知らない人ばかりだった。全く知りも知ない人から「私はあなたの親戚です」などと言われて困った記憶がある。
そんな中、私にできることは、葬儀社さんにとにかくするべきことやわからないことを質問しそれを実行するだけだった。
後悔しないことが大切
父の時の経験もあって、母のお葬式の時は、少しだけ気持ちの余裕があったが、それでも辛いことには間違いなかった。
私は今後の人生で、もう喪主を務める事はないだろう。でも、生涯の中で必ず体験しなければならない儀式であるからこそ、心をこめて行い、後の人生であとあとこうしておけばよかったなどと思うことがないように気をつけてほしい。