2017年7月21日。サルバドール・ダリの嫡出子であり、遺産の一部を相続する権利があると主張する女性の申し立てに基づき、1989年に埋葬されてから28年ぶりにダリの墓が掘り起こされた。DNA鑑定のための検体を採取するためだ。
鑑定の結果、主張は認められなかったが、注目すべきは遺体防腐処理技術
鑑定の結果、女性とダリの間の親子鑑定は否定されたことは大きなニュースになったので、覚えている方も多いだろう。埋葬時にダリの遺体を処理したエンバーマーが、掘り起こしに立ち会ったのだが、「ダリの口ひげは、10:10分のままでした」との、彼の一言にも興味を持った人もいるだろう。なぜ、そのままだったのか?それは、腐敗していなかったからに他ならない。
毛沢東もエンバーミングで安置されている
欧米では、埋葬する遺体に防腐処理をしてほぼ生きたままの姿で棺に納め、埋葬することも多い。その処理をエンバーミングと呼び、処理を施す人をエンバーマーという。前述のエンバーマーは、ダリの遺体を掘り起こして検体採取に立ち会えたことは自分のエンバーミングの技術がどれほどのものか実際に検証できる千載一遇のチャンスだったに違いない。遺体がそのままの状態を保っていたという意味合いで、「ダリの口ひげは、10:10分のままだった」ということが職人としての誇りだったのではないかと、私は推測している。
エンバーミングは欧米だけでなく、中国などでも行われてきた。例えば、毛沢東などの大政治家の遺体もエンバーミングされて廟に安置されている。
そもそもエンバーミングとは?
Embalmの、balmとは芳香があったり、油性だったり、あるいは樹脂のような性質を持つ動植物由来の物質を広く指す。Balmの多くは薬として使われたり、様々な種類を混ぜ合わせたりして、軟膏のように使うこともある。リップクリームの中には、リップバームと名付けられた商品もある。Emは、「~させる」、とか「~しむける」という意味の接頭辞である。だから、エンバーミングとは、バームを塗る、あるいはバームに漬けるといった意味だ。
エンバーミングの歴史は?
エンバーミングの歴史は古く、紀元前3000年ほど前の古代エジプトではすでに行われていた。古代エジプト王のミイラなども、エンバーミングされていたからこそ、現在、私たちが博物館などで見ることができるわけである。
古代エジプトのミイラ作成(遺体防腐処理)は、現在のエンバーミングとは異なり、乾燥させることに重きが置かれていた。まず、遺体は内臓や脳を取り出した後、大量の塩をまぶされたり、その上を布で覆ったりして、水分を抜かれた。十分乾燥すると体表面や腹腔などは腐敗を防ぐため天然のアスファルトや植物樹脂などを塗布して、棺に納められた。植物樹脂としては杉の樹脂や松脂などの、芳香性の高い針葉樹由来のものが多用されたという。これは、防腐作用だけではなく臭気を緩和するためだったのではないかといわれる。この時代にも、ミイラづくりの専門職つまり職人がいたのだ。
エンバーマーと現在のエンバーミング
ネット検索すると、各国のエンバーマーのホームページやブログ、ニュース番組で取り上げられた記者の体験記などがたくさん出てくる。それらを読むと、彼らがエンバーミングの仕事をとても誇りにしていることが伝わってくる。
現在のエンバーミングは、死後硬直が解けた後、遺体を石鹸できれいに洗浄するところから始まる。そして、頸静脈から管を差し込んで真空ポンプで血液や体液をできるだけ吸い出すのだ。血管を経由して吸い出せる水分が無くなったら、その管から防腐剤を体内に送り込むのだ。ここまでが、エンバーミングの基本的な処置である。そのあと、腹腔内から浸みだしてくる体液を吸い取るなどいくつかの処理があるが、グロイ話なので割愛する。
エンバーミングの問題点とは?
古代エジプトでは、防腐処理のために天然物由来の防腐剤を使っていたので環境への悪影響はほとんどなかったと考えられる。現在のエンバーミングで、問題視されているのが強力な防腐剤の使用である。その中で最も多く使われているのが、ホルムアルデヒド(ホルマリン)である。ホルムアルデヒドは、低濃度ではシックハウス症候群の原因物質であり、高濃度で暴露されると発がん性物質となる。棺が腐敗して防腐剤が地中に漏れ出せば人間だけでなくほかの生き物にも悪影響が出る。
エンバーミングを拒否する人もいる
欧米では、自分自身の死が環境負荷にならないように遺書でエンバーミングを拒否している人もいるようだ。日本は遺体処理のほとんどが火葬なので、実感がわかない人も多いだろうが、エンバーミングの環境への影響の議論が少しずつ始まっているのである。
外国の遺体処理や埋葬方法やその歴史を調べているうちに、今の日本でほとんどの遺体が火葬されて形が残らないということは、千年後の日本の考古学者にとってサンプルや資料がなくて困ったことになるのではないかとちょっと心配になった。