日本語では鳥葬と呼ばれるが、正式にはSky burial(天空の葬送)という葬送の習慣がチベットやインドのガンジス川流域の一部では、まだ一般的である。もちろん、これらの地域では火葬、水葬、土葬などほかの葬儀の方法も存在する。しかし、鳥葬=天空の葬送は、その地域の気候風土と密接に結びついて発達してきた―あるいは進化してきたといってもよいかもしれない―風習である。その地域の生態系の重要な歯車の1つとして、物質循環の一端を担っているということが、鳥葬の最も注目すべき点であろう。
チベットの人は、人は亡くなってから初めて死のスタートだと考えている
チベットの人々は、息絶えた時が人の死の第一段階であると考えている。そして、魂は身体の様々な身体の構成要素から徐々に離れていくとされている。まず、土の要素が水の要素の中に溶け出す。と、同時に死んだ者は目が見えなくなり、震えるように感じているのだという。水の要素が空気に溶け出すと、死者は耳が聞こえなくなって煙に包まれているように感じる。魂が完全に体から離れると、様々なレベルの意識が失われて半透明な光の中に入っていくとされており、この時点で、本当の意味で死が訪れるとみなされる。
ほかの宗教でも「死は終わりではない」という類似の認識を共有しているが、チベット仏教では、特に死者はほかの生き物の体内に入ったり、自然に還っていくことで、来世や浄土での生まれ変わりが可能になると考えられている。そして、死は恐れるべきものではなく、生まれ変わりへの一過程とみなされている。
鳥が食べやすいようにする鳥葬
ラマ僧によるお経が流れる中、亡骸は数日間、集落内にて座位で安置される。その後、家族や縁者、そして僧侶によって、集落外の「天空の葬送」を行う場所に運ばれる。遺体はそこで伸展されて、おおざっぱに皮膚をナイフで傷つけたり、解体されたりするのだ。これは、鳥が食べやすいようにするためである。
鳥葬の主役 ハゲワシ
鳥葬の主役は、ハゲワシである。遺体が葬送の場所に置かれるやいなや、ハゲワシが集まってくる。葬送の儀式が終わって、周りから人がいなくなると、あっという間に十数羽から数十羽のハゲワシが取り囲んで食べ始めるのである。集まってくるハゲワシの個体数にもよるが、遺体はおおむね2-3日でほぼ完全に骨格だけになってしまうという。その後、骨は人が細かく砕いてその場に残される。
ハゲワシの名前は、頭の羽がほとんどなくて、禿げている様に見えることに由来している。実は、羽が生えていないわけではなく、うぶ毛のような細い羽根がびっしり生えているのだが、採食するときには大型動物の腹腔に何回も頭を突っ込むために、擦れてしまったり、血液などでべとべとになってしまうために禿げているように見えるのだ。ユーラシア大陸からアフリカにかけての亜熱帯から熱帯地域の半乾燥地帯に10種以上が生息している。特に、アフリカ大陸とインド、パキスタン、チベット、東南アジアに分布するハゲワシは、その独特の生態系の中で、大型哺乳類の死骸を食べて分解する掃除屋として極めて重要な役割を果たしている。
鳥葬は感染病を防いでいる
人もまた、その環の一部に過ぎないという受け入れそのものが、チベット仏教やその他の鳥葬という葬送方法にはあるのだろう。人を含めた大型哺乳類の遺体は、ハゲワシによって速やかに「処理」されるから、腐敗による病原微生物の拡散が大幅に抑えられているという。
その結果、大量の腐敗した有機物が、チベットのプマプトラ川や、この川が最終的に合流するガンジス川などに直接流れ込んで汚染することを防いでいるのだ。
理にかなっている、古くから伝わる鳥葬
いわゆる「近代的で文化的な」生活様式に慣れきっている私たちは、「天空の葬送」への一般的な反応は、「気持ち悪い」とか「グロい」といったところではないだろうか。しかし、大量の電力や化石燃料を使い、ダイオキシン類や水銀を大気中に放出せざるを得ない今の日本の火葬方式や、山野を切り開いてどんどん新たな墓所を造っている実態のほうが環境への負荷が大きいのは明らかだろう。