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生涯を通して死刑囚と向き合い、諭し続けた教誨師・篠田龍雄

2017年に死刑執行された死刑囚は4人。その内訳は、7月に1991(平成3)年、京都市などで女性4人を殺害した西川正勝死刑囚(61歳)、2011(平成23)年に岡山市で女性を殺害した住田紘一死刑囚(34歳)、12月には、2011年に千葉県で一家4人を殺害した関光彦死刑囚(44歳)、1994(平成6)年に群馬県で3人を殺害した松井喜代司死刑囚(69歳)だ。

こうした死刑囚を含めた、刑務所や拘置所に収容されている受刑者には「教誨師(きょうかいし)」と呼ばれる、受刑者を諭し導き、善にたちかえらせようとするため、無償で活動する宗教者が面会する機会がある。

生涯を通して死刑囚と向き合い、諭し続けた教誨師・篠田龍雄

教誨師の先駆者 篠田龍雄

教誨師の先駆者 篠田龍雄

日本における教誨師の先駆者に、篠田龍雄(1896〜1978)がいる。篠田は福岡県の「筑豊三都」のひとつ、かつて石炭産業で興隆した直方(のおがた)市の西徳(さいとく)寺の長男に生まれ、後に14世住職となった。

西徳寺はJR福北(ふくほく)ゆたか線・直方駅北口にある。戦国時代に、現在の福岡県福岡市東区に存在した名島(なじま)城主・小早川秀秋の家老だった、篠田次郎兵衛重英が開基した浄土真宗本願寺派の寺である。1600(慶長5)年、関ヶ原の合戦当時に重英は出家し、西徳是照と号していた。その後、1628(寛永5)年、3世の清順の時に「西徳寺」という寺号を許され、今日に至っている。もともと直方の町は、江戸時代初期の1623(元和9)年に筑前・福岡藩の支藩である東蓮寺(とうれんじ。一時廃藩になるが1888(元禄元)年、直方藩として復活)藩4万石の城下町だった。そこで東蓮寺藩の「御館山城」城主・黒田隆政(福岡藩主・黒田長政の4男)が寺の本堂を建立し、藩の准菩提寺とした。1638(寛永15)年に島原の乱が勃発した際は、御館山城の第二砦となり、出陣の報告祭が催されたという。また寺内には、聖徳太子作の一木三体の阿弥陀如来像の一体とされる本尊や、具体的な時期や経緯は不明だが、1664(寛文4)年、貝原篤信の銘文が入った、福岡城内に時間を知らせた「時打ちの鐘」が移され、寺内に置かれた。直方藩が廃藩になった1720(享保5)年には、「御館山城」の山門が西徳寺に移されることになった。このように西徳寺は開山以来、歴史の場面場面において大きな役割を果たしてきたばかりではなく、城下町かつ寺町でもある直方の中でも、法務員(役付きの僧侶)だけで常時3〜5人がいる、富裕な寺でもあった。

結核を患い、自らの経験を通して得られた「生」への執着

篠田はこのような名刹の長男として、また、明治以降は「炭都」ならではの、事故が頻発する炭鉱現場で絶命した人々を偲ぶ慰霊祭などにおいては、僧侶として、「阿弥陀様のお浄土に生まれ変わることを喜びましょう」と語っていた。そんな中、篠田は20代で結核性の病にかかってしまった。名医を頼って博多湾岸の志賀島(しかのしま)に渡り、数年間の闘病生活を送る羽目となった。自分の周りにいる患者たちが次々と亡くなっていくのを目にするにつれ、篠田は「ベッドの上で、くる日もくる日も見えない無数の病原菌が自分の体をむしばんでいく恐怖に怯えた」。「死にたくなどない。一日でもいいから長く生きたい」と願った。「煩悩」という言葉を仏教の「教義」としてではなく、身をもって知ったのだ。

幸い、片方の肺と数本の肋骨を失ったが、篠田は奇跡的に回復した。その病のおかげで第2次世界大戦当時は、召集されることもなかった。その一方で彼の知人友人は、命を落とした。しかも異国で亡くなったならば、骨すら戻って来ることはない。そうした人々の最期を思うにつけ、篠田は自身の闘病時代の切羽詰まった「生」への思いが重なり、焦りや申し訳なさを感じた。今、生きている自分がすべき仕事はないか。本当に救いを求めている人はいないかと、探し求めるようになっていった。その結果、篠田は直方から当時、片道2時間近くかけて、当時福岡市東区(現・早良区)藤崎にあった福岡刑務所に通い、身元の引き受け手がいない死刑囚の教誨を行うようになった。およそ10年、篠田はそれを続けた。しかも死刑囚のみならず、刑を服して出所したものの、行くあてのない人々を引き取って、寺院周囲の造成工事など、寺の仕事に従事させた。

福岡刑務所だけでなく、東京拘置所にも通うようになった篠田龍雄の当時の多忙さ

更に篠田は、1951(昭和26)年からは福岡刑務所のみならず、東京拘置所(当時は巣鴨)まで通うようになった。その年はサンフランシスコ講和条約が締結した年でもある。GHQによる占領統治は終わった。新しい時代を迎えるにあたり、東京こそ、今後の日本を動かす一大拠点になると篠田は考えた。関東圏には「除災幸福を願求する教義」の「宗教」は数多くあっても、浄土真宗の寺は少ない。しかも結核で一度は失った命、恵まれた田舎でのうのうとしていてはならない。今、この瞬間にも「命あることの尊さ」を篠田に教えてくれた浄土真宗を広めるため、東京でこそ、布教しなくてはならない。それが、今まで生かされてきた自分の使命だと奮起したのである。

そんな篠田は「日本で最初に、最も長距離の定期を使った男」でもあった。毎月5日に直方駅を出て、4人がけの狭い座席で30時間以上も揺られて、「定期」を使って東京まで行く。1956(昭和31)年に「特急あさかぜ」が開通し、片道17時間になった。1975(昭和50)年には、東京〜博多間の新幹線が開通したものの、それでも、8時間余りかかった。疲れをものともせずに東京を走り回った後の篠田は、翌月の1日午前7時着の列車で直方に戻る。直方に戻ったわずか5日の間、寺の仕事のみならず、併設された保育園や幼稚園の仕事も人任せにすることなく、自ら率先してこなした。それを毎月続けていたのだ。

また、東京での教誨の合間に篠田は、東洋大学や武蔵野女子大学(現・武蔵野大学)、佛教大学などで仏教に関する科目の講師を行うばかりではなく、ハンセン氏病の施設に法話に出向いたり、冬の山谷のドヤ街に暖かい下着を差し入れに行ったりもした。そして請われれば、どんな小さな部屋の一室でも、連日のよう法座を開いていた。母の危篤の知らせを受け取った際ですら篠田は、「法座を止めるわけにはいかぬ」と寺に戻ることはしなかった。このような篠田の法座は大好評で、篠田の死後15年間、法話が録音されたテープを聴く会が持たれたほどであった。

篠田龍雄の教誨の目的

そのように精力的に活動した篠田の教誨の目的は、死刑囚たちに「阿弥陀仏のお浄土に生れることになった自己を悦ばせ、そこへの希望に、人生の1日1日を充あらしめること」だった。更には「彼等死刑囚の心の平静を保つことこそ、母たる教誨師の責務である」とすら述べていた。篠田は言うまでもなく男性であるが、福岡刑務所や東京拘置所での教誨の際、週に1〜2度の面会であっても、会を重ねるたびに、死刑囚に対し、「兄弟の情味」を超越して「親子の情愛」そのものの関係を築いていた。例えばある死刑囚は「おやじ、来たか!」と風呂から飛び上がって、汗を拭き拭き、教誨堂に姿を現す。そんな様子に篠田は、聲涙流れる説教どころか、親子となって、心ゆっくりと親子が向かい合っているかのような時間を味わっていたという。それは、「冷たい人生を潜った子供達には、親切という心づくしに飢えている」死刑囚に対し、篠田が「仏の道」をただ説くのではなく、「熱があるとのことで栄養剤バター、肝臓病と云うので医局許可を得てグロンサン、寒いと云うので丹前を差し入れ…」など、まるで心配屋のお母さんのように甲斐甲斐しく世話を焼いていた。まさにそれは、篠田が彼らにとっての「おやじ」でもあり、「母」でもあろうと、心から尽くしたからこそ、成り立っていた関係性だったのだ。

ある死刑囚との最後の別れ

そんな死刑囚たちのひとりが絞首台の露と消える前、篠田は地獄と極楽の様子が描かれた『大経』(無量寿経)五悪段の古い書物を取り出して、「目」と「耳」から教え諭した。等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄…と八大地獄を説くと、「我が子」は目を据えて眺めている。篠田が「どうします。あなたはこの地獄に落ちねばならないのだが…」と言っても返事がない。そこへ篠田が「心配なさるな。あなたの側には親様阿弥陀如来がまします。親様ですよ。親だから親の国へ連れ帰って下さるよ。悪業の者をそのままに!見てごらん。ここから親里が、よく見える」と言い、次に浄土の三種荘厳の絵を示す。「我が子」は目を光らせて、親里の曼荼羅に見入っている。「この親里へは初旅だから、あなた1人では道も分かるまいが、母ちゃんがつれて行って下さるからね。心配はないよ。いや、今でない。親様は、早くも、平生(へいぜい、普段・いつもの意)からお迎えに来ていらっしゃった」と言って、蓮如上人が吉崎(現・福井県あわら市)の漁夫・與三次に賜ったという歌、

     「はたはたと 船ばたにたたく吉崎の
      波の下にも 阿弥陀まします」

を誦じ、「絞首台の下に阿弥陀まします。2人で帰るのですよ。2人で。幼な子が、母ちゃんと旅するように…」と締めくくった。

死刑囚は、ニコリと笑った。そしてポロリと涙を流した。

     「では、さようなら」
     「ありがとうございました」

と死刑囚が合掌した。数珠のかかった手首に、手錠がかけられた…

最後の刹那に「ありがとうございました」と答えた「我が子」に篠田は、「仏をたのんだ」と直感したという。この「ありがとうございました」が心から浮かばない人々は誰でも、自分自身の計らいに苦しめられる。しかし、「ありがとうございます」は念仏の無碍の姿である。それゆえ、こんな「我が子」の最後は、「惜しいな。救いたいな。もう少し生きさせたいな。どうにかならぬものかな」と篠田の胸を騒がせた。しかし、死刑囚の命は尽きた。執行後、医師は臨終を告げた。

「我が子」の手に掛けられていた数珠が、その足元に落ちていた。篠田は執行後、直ちに数珠を掛けてやるべくその手に触れたところ、もう霜のように冷たくなっていた。つい先頃、絞首台へ行く途中、手を握って、「すぐに、お浄土だよ」とお別れしたときには、あんなに温かかったあの手が…

篠田龍雄の最期

篠崎は83歳になった1978(昭和53)年、体力の限界を感じ、東京行脚を諦めることを決意した。東京で知り合った人々に、「直方で隠居します」と挨拶回りを済ませた後、直方への片道切符を買いに行った東京駅で倒れてしまった。そしてそのまま絶命したのだ。

「人間というものは、どうあろうと、こうあろうと、人間が好きになる。好きでたまらんようにできとるのですよ。なんかのハズミで、ちょっとの間、すじ道をとりちがえても、やはり本然のすがたにかえっていく」と、人間を信じ、死刑廃止の立場を取っていた篠田だからこそ、関ヶ原の戦い当時から続く名刹において「教義」を熟知した立場の人間として「仏の道を説く」のではなく、直方〜東京という長い距離を往復した。教誨の際も「おやじ」、そして「母」として、死刑囚たちが持つ、いろいろの「妄念妄想」という怪物を吐き出させ、「思うている腹の中を空にする」ことに尽力した。

死刑制度の是非と教誨師の存在

篠田が活躍していた当時、そして現在であっても、日本のみならず、世界各国で死刑廃止を主張する人々、逆に被害者・遺族感情を鑑みて、死刑制度存続を希望する人々との間で、様々な議論がなされてきた。死刑制度の存在にかかわらず、篠田が言う、人間関係や人生そのものにおける「すじ道のとりちがえ」によって、大きな罪を犯す人々は世界中で後を絶たないのが現実だ。ただ、そうした罪びとたちが、自分の罪を一切悔いることなく絞首台に上り、命を終わらせてしまうことよりも、被害者・遺族のため、そして自分自身のために篠田が教誨を通して知り合った、福岡刑務所のある死刑囚のように、「ありがとうございました」と自らの死を受け入れて、安らかに死んでいくこと、そしてそのように死刑囚の心を救い導く篠田のような教誨師の存在は、とても意義あることだと言える。

最期に…

篠田が「おやじ」ばかりではなく、「母」となって接した死刑囚たちは果たして極楽浄土に赴くことができたのか。それとも地獄に堕ちたのか…

たとえ社会的な罪を一切犯すことのなかった「普通の人」であっても、死を目の前にして、果たして自分を看取る人に、「ありがとうございました」と穏やかにお礼の言葉が言えるだろうか。もちろん、泣いたり怒ったりと、激しく取り乱し、「死にたくない!助けてくれ!」と言うのもまた、人間らしい姿でもあるが、できることなら自分の、消してしまいたい、なかったことにしたい様々な「黒歴史」をも含めて、自分の一生そのもの、そしてそこで出会ってきた人々、更には最後に看取ってくれる人に、「ありがとうございました」と一言、感謝の言葉を述べ、「腹のなかを空」にして逝きたいものである。

参考文献

■堀川惠子『教誨師』2014年 講談社
■篠田龍雄「死刑囚の最後と法悦」『信仰』1950年10月10日(20−24頁)百華苑
■篠田龍雄「法味百態」『世界仏教』1953年1月(63−65頁)世界仏教協会
■篠田龍雄「東京都の妙香群星」『世界仏教』1953年6月(36−38頁)世界仏教協会
■篠田龍雄「死刑囚の話」『大法輪』1954年10月1日(76−80頁)大法輪閣
■篠田龍雄「人間観 鼎談 梅原真隆・月輪賢隆・篠田龍雄」『大乗 ブディストマガジン』1955年9月(6−14頁)大乗刊行会
■篠田龍雄「凡夫無碍と時の流れ 死刑廃止論/太陽の季節」『大乗 ブディストマガジン』1956年4月(54−55頁)大乗刊行会
■「監獄教誨」真宗新辞典編纂会(編)『真宗新辞典』1958年(83頁)法蔵館
■篠田龍雄「教誨師のよろこびかなしみ」『刑政』1962年6月(99頁)矯正協会
■篠田龍雄「死と常に対決している人々…極刑囚の死の前後」『大乗 ブディストマガジン』1956年9月(65−69頁)大乗刊行会
■篠田龍雄「信じた『心ぶり』」築地本願寺新報社(編)『信仰十二ヶ月』1960年(277−280頁)大乗刊行会
■直方市史編さん委員会(編)『直方市史 上巻』1971年 福岡県直方市・市長川原勝麿(刊)
■篠田龍雄「念仏のこころ 浄土真宗の味わいとは」『大乗 ブディストマガジン』1977年9月(65−69頁)大乗刊行会
■直方市史編さん委員会(編)『直方市史 下巻』1978年 直方市役所(刊)
■「西徳寺」全日本仏教会・寺院名鑑刊行会(編)『全國寺院名鑑 中国・四国・九州・沖縄・付海外篇』1976年 (157頁)全日本仏教会・寺院名鑑刊行会
■牛嶋英俊「五万石の城下町」深町純亮(監修)香月靖春・他(編)『図説 嘉穂・鞍手・遠賀の歴史』2006年(108−109頁)郷土出版社

ライター

鳥飼かおる

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