現在我々が「エビス」と言って思い浮かべるのは、ヱビスビールのシンボルマークである、烏帽子(えぼし)をかぶり、大きな鯛と釣竿を持った、陽気な笑顔の福の神だ。魚と釣竿が持物(じぶつ。アトリビュート)であるため、「エビス」は漁の神、海上交通の神と考えられているが、交易の神、農業の神、商売繁盛の神など、多種多様な「顔」や側面を持っている。
中国でのエビス 日本でのエビス
「エビス」は夷・狄・戎・胡・蛭子・蝦夷・恵比須・恵比寿・恵美須…などと書き表されてきた。もともと中国では「エビス」は、漢民族を中心に見て、北方の異民族、南海岸に住む未開の人々を意味していた。日本においては中国に倣う形で、記紀神話の蛭児(ひるこ)神、大国主(おおくにぬし)神、事代主(ことしろぬし)神などと結びついて、自分たちとは違う「異邦人」「来訪人/神」「漂着人/神」を意味するようになっていった。
海の神としての「エビス」は、例えば鹿児島県の下甑島(しもこしきじま)の瀬々浦(せせのうら)では毎年、漁期の口明けの時期は、地域で評判がいい若者が新しい手ぬぐいで目隠しをして海に飛び込む。そして海底の石を拾い上げて夷(エビス)神に祀る風習があったという。また、島根県・隠岐(おき)の知夫(ちぶ)の漁師たちは、海で釣り糸を垂れるとき、「チョッ、エビス、エビス」と唱え、大漁を祈願したという。
「水死体」や「流れ仏」の呼称でもあったエビス
また「エビス」は、海の神のみならず、鯨・イルカ・トドのような海獣、更には身元不明の海難者の死体こと「流れ仏(ナガレボトケ)」に対する呼称でもあった。
「エビス」は漁師たちの間では、大漁をもたらすものと信じられていたため、引き上げられた後、手厚く葬られた。その後、漁村の外れに祠を建て、初魚を供えて、航海安全と大漁を願う風習があったという。長崎県・壱岐(いき)では、引き上げた「エビス」に自分の肌着を脱いで着せた後、陸に戻って手厚く葬ると、その人の運勢がよくなると信じられてもいた。また、大阪府岸和田市大工町(だいくまち)の古い言い伝えでは、「エビス」こと「エベッサン」は耳が遠いので、お詣りするときには、社(やしろ)の背後に回って、大声で「エベッサン、エベッサン、参りに来たでぇ〜」と言い、社の壁を叩いて自分が「ここ」に来たことを知らせないとご利益がないと信じられていた。それはもともと海上で、大声を出して海難者の死を確認するために行われていたことが始まりだったと考えられている。
しかもそれは海難者のみならず、鯨の胎児やサメなどの死骸をも「エビス」と呼び、それを海から引き上げた後、ねんごろに葬り、石碑を置いて、定期的に供物を捧げることも行われていた。その際、「縁起がいい」といっても、「死」そのものは長年、日本人にとって「ケガレ」と見なされてきたことから、壱岐の勝本浦(かつもとうら)では、水死体を陸揚げした後、死体を置いた場所を海水と塩で洗い清め、乗組員は酒を飲んで自身を清め、更に神官が船と乗組員のお清めをする風習があった。
祟り神としての一面も持つエビス
偶然に遭遇したことで大漁や航海の無事という福をもたらす「エビス」だが、「アラ(荒)エビス」という言葉があるように、「エビス」は「祟り神」としての顔も持っている。佐賀県の名護屋(なごや)に伝わる話では、若い女の「流れ仏」を拾った漁師が自分の家の近くに埋めておくと漁をさせてくれると知っていたが、浜の納屋の近くに投げ捨てておいた。するとすぐに病気になってしまった。そこで漁師は法印(ほういん。高僧のこと)に見てもらったところ、仏は丁重に祀ってもらいたかったのだという。そこで漁師は、石で「恵美須さん」を刻んでもらったところ、病気は快癒し、漁にも恵まれた。それ以来その漁師は、自宅で自分の先祖の位牌と「恵美須さん」とを一緒に祀っているという。
商売の神としてのエビス
こうした海の神の「エビス」が「商売の神」と見なされるようになったのは、海産物を取引する「場所」から始まった。例えば大阪市浪速区の今宮戎(いまみやえびす)神社がある土地一帯は漁村で、聖徳太子建立の四天王寺に近い海浜だった。しかも古くから、海の幸と山の幸との物々交換がさかんな「場所」でもあった。これが「市(いち)」となり、「ザコバ(雑喉場)」から現在の木津市場(きづいちば)へと発展した。しかも四天王寺に詣でる人々が、魚そのものを寺に納めたり、魚を売買している人であれば、その儲けを寺に寄進したりしていた。そうした時間の経過の中で、海人のみならず、多くの人々に幸を授ける招福の神として今宮戎が鎮座し、貴賎を問わず、信仰されてきたことから、「エビス」が「商売繁盛」の神として定着したと考えられている。
漁業におけるエビスが大漁をもたらすものと信じられていた理由とは
漁業は偶然、そして突然変わる天候や潮の流れに大きく左右される、「板子一枚下は地獄」の言葉通り命がけの生業である。消費者である我々は日々何気なく魚を食べているが、それをほとんど意識することはない。しかし昔から連綿と、海人たちは海の神、鯨などの海の哺乳類、そして海難者、鯨などの遺骸をも「エビス」と呼び、畏れつつも大切に扱い、大漁や航海の無事を祈ってきた。我々は「生きる」ために海の魚を食べる。魚の「死」によって、我々は生きている。それにもかかわらず、命の大切さを忘れ、魚や海そのものに対して、時に傲慢だったり、軽んじたりしがちな人間に、「エビス」は「荒エビス」となって、海難事故や不漁など罰を下す。一方で謙虚な心を忘れず、丁重に扱う人間には福をもたらしてくれるのだ。
最後に…
我々は現在表象されている「エビス」の明るく優しい笑顔に甘え、ついつい自分の幸福追求ばかりを祈ってしまう。そうではなく、「エビス」本来のありよう、我々の「外」にいて、時に我々の元を訪れることもある「異邦」の人/神であることを思い出し、我々が果たして「正しい」「当たり前」なのか、ひょっとしたら違っている、誤っているところがあるかもしれない、と、奢らぬ遜った心へ立ち返るきっかけとして、「エビス」に対峙する必要があると筆者は考える。
参考文献
■吉井良隆「エビス神研究」『神道史研究』第5巻第4号 1957年 神道史學會編/刊 (220−242頁)
■波平恵美子「水死体をエビス神として祀る信仰:その意味と解釈」『民族学研究』第42巻4号 1978年 日本民族学会編/刊行 (334−355頁)
■渡邊洋之『捕鯨問題の歴史社会学 –近現代日本におけるクジラと人間』2006年 東信堂
■原泰根「エビス信仰について」『大阪府の漁撈習俗とエビス神信仰』2010年 近畿民俗叢書刊行会編/刊 (1−3頁)
■小藤政子「大阪の海と漁撈習俗とエビス神信仰」『大阪府の漁撈習俗とエビス神信仰』2010年 近畿民俗叢書刊行会編/刊 (4−15頁)
■平川敬治『魚と人をめぐる文化史』2011年 弦書房