欧米圏の「墓地」と言えば、何が連想されるだろうか。広大な芝生の上に、整然と並ぶ白い十字架の列か、それとも、馬に乗った英雄像などの壮麗なモニュメントがいくつも屹立しているものだろうか。
ローマ帝国下のローマでは、1世紀前後から、地上に墓地がつくられる5世紀頃まで、死者はカタコンベと呼ばれる地下の埋葬室・地下廊に埋葬されていた。
35ヶ所、885キロメートルに及ぶローマのカタコンベ
イエス・キリストの死後、ローマ帝国内で大きく広がったキリスト教は、314年に発布されたミラノ勅令によって、禁教が解かれた。それ以前は、多くの殉教者を生むほどの迫害が行われていた。しかし当時のローマ法に、埋葬は最も神聖なことであると定められていたため、キリスト教徒の墓所が破壊されることはなかったという。そうしたことから、現在、ローマ市には35ヶ所、延べ885kmに及ぶカタコンベが残っている。
カタコンベは主に、市内におよそ12万人居住していたとされるユダヤ人に利用されていた。彼らの土葬の習慣にならうかたちで、キリスト教徒がカタコンベを発展させた。キリスト教では死者のよみがえりが信じられているため、火葬を嫌ったことによる。
また、ローマ市周辺の地質が、地下に墓所を設けるのに適していたことも大きい。エトナ山やヴェスヴィオ山などの火山の爆発によって生じた堆積物から成る土壌には、粒状凝灰岩(ぎょうかいがん)が多く含まれていたため、地下への掘り込みの際、事故や障害が生じなかったためである。
偶像崇拝を禁止していたキリスト教にも関わらず墓内には幾つかのそれらしき壁画が残されていた
そのようなカタコンベは、埋葬用壁龕(へきがん)があるいくつかの部屋と、幅90cm、高さが180cm余りの廊下を上下縦横に結び合わせ、網の目状の形態になっている。遺骸はユダヤ人の習慣に従い、布に包んで埋葬された。簡便なものは、廊下や部屋の壁を四角く切り込み、そこに遺体を安置した後、レンガや大理石で塞いだ。凝った形のものは、壁を半円状に切り込み、遺体は上から水平の石板で塞いだ空間に安置された。時にはその中に、高価な石製の石棺が置かれることもあった。
しかもカタコンベ内には、遺体が安置された壁から離れたところに設けられた部屋があった。そこで故人の遺族や知己の者たちが、ユダヤ教や、帝国内に浸透していた、さまざまな多神教の影響から、葬礼会食を行っていたという。
このようなカタコンベで忘れてはならないことは、3世紀半ばから始まったとされる、墓内の壁に描かれたキリスト教にまつわる図像の存在である。本来キリスト教は、いかなる偶像崇拝も、旧約聖書のモーセの十戒に則り、禁じている。それにもかかわらず、ローマのキリスト教徒は、キリスト教にまつわる絵で墓所内を彩ることを好んだ。その慣習は、西欧諸国のローマ・カトリック教会に多く見られる、豪華絢爛なキリスト教美術へと継承されていくことになる。
善き牧者とベールを被った婦人
カタコンベの壁に描かれたモチーフの代表的なものとして、「善き牧者」と「オランス」と呼ばれる、両腕を差し出し、祈りの姿勢を取った「ベールをかぶった婦人」の2つが挙げられる。「善き牧者」とは、新約聖書に登場するイエス・キリストの言葉、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」や、ルカによる福音書の、1匹の迷える子羊を見つけ出すまで探すという譬え話を典拠としたものである。もう一方の「オランス」は、イエスの母・マリア、または故人や著名な殉教者がモデルになったもので、天国における死者の永遠の浄福を意味しているという。
これらの絵は、暗くじめじめした地下の墓所、または迫害時代の暗鬱な空気を反映しているものではない。当時のキリスト教徒の信仰態度が、イエス・キリストの再臨を待つこと、そして天国における永遠の命を願うものであったことから、希望と明朗さに満ちているからだ。また、絵そのものも、美的、または精緻とは言えない筆致である。それは、墓所の壁を彩った職人たちは、必ずしも自身のキリスト教への理解や信仰によらず、顧客の奉じる宗教に臨機応変に対応できる、パターン化された絵柄を描いていたためであると考えられている。例えば「善き牧者」であれば、ギリシャ・ローマ神話の「牡牛を担ぐヘルメス」のような、楽園の牧歌的なイメージ、「ベールをかぶった婦人」であれば、死者の生前の姿に転用することが可能だったからである。
最後に…
日本に住み、キリスト教徒ではないならば、我々はルネサンス期のミケランジェロ、ラファエロ、ダ・ヴィンチなどの大家の絵を通して、キリスト教世界を思い浮かべることになる。彼らが描いた重厚で壮麗なイメージだけが、キリスト教を表象するとは限らない。
およそ1700年前に描かれた、名もなき職人による絵もまた、我々がキリスト教を知る手がかりとなる。従って、カタコンベに残された素朴な絵の数々は、キリスト教のみならず、我々の心に長年こびりついてきたさまざまな事物に対する固定観念を大きく揺るがし、新たな視野を広げる力に満ちあふれていると言えるだろう。
参考文献:古代文化の光―ヘブライ=クリスト宗教の考古学的背景 、 カタコンベの教会 —使徒時代より紀元250年にいたる激動期の初代教会、 DELUXE GALLERY 西洋の美術、 聖書 新共同訳 旧約聖書続編つき、 初期キリスト教美術・ビザンティン美術、 西洋美術の歴史