つい先日、新聞の朝刊にエジプトのピラミッドに関する記事が出ていました。何でも、クフ王のピラミッドの内部に用途が不明な、新たな空間が存在しているらしい事が、名古屋大学など国際共同研究グループの観測で分かったとか・・・。
謎多きピラミッドが、悠久の歴史を超えて今もなお我々を魅了してやまないのですから凄いですよね。
心を込めて作られたピラミッドとそうでないピラミッド
処で、ピラミッドは王の墓ではないとの説も有りますが、いずれにせよ葬祭用の施設であったのは間違い無いようです。お墓というと、我々はどうしても近くで見る墓地を連想しがちですが、ピラミッドにまつわる話題を耳にする度に、お墓あるいは葬儀の重みと言いいますか、何か永遠性みたいなものを感じてしまいますね。そう言えば国内に現存する古墳も、お墓でしたね。天皇陵となると、巨大なものもあります
今度の記事を見て、つい私は学生時代に、とある先輩がピラミッドについて語っていたのを思い出してしまいました。その先輩によると、次の様な説があると言うのです。
「エジプトのピラミッドは、不連続だった期間があるにせよ、次から次へと新たな造営が繰り返し為された。当初は王の威光を発揚しようと、労働者たちは或る種の情熱と歓喜を抱いて作業に傾注していた。カイロ近郊にあるギザの三大ピラミッドは、この典型例だという。しかし回数が重なるにつれ、造営は次第に慣行的となり、作業における入魂が薄れていった。そしてこれらのピラミッドは造営が新しいにも拘わらず、風化に耐え切れずに長い年月の内にほぼ姿を消していった」
変化し続けることが大事
成程、入魂の仕事は朽ちる事はないが、そうでないものは朽ちる・・・。そんな事を教えてくれる逸話ですね。人間の精神の大いなる力を改めて感じます。
心の持ち方によって、その結果に違いが出る事を教えてくれる話は、中国の故事などでも見出す事ができます。中国には性霊説と言って、性情による霊妙とでも言うべき働きの発露を尊重する傾向が少なからず有るようです。
さて、葬儀をめぐる環境は、目下、激動期に突入しております。ダイナミックな変化は、見方を変えれば大きく飛躍できるチャンスとも為り得るでしょう。
ここはひとまず皆で性霊を信じ、葬儀に関わる何か良いものを創出してみたいですよね。