前回述べた通り、古代ギリシア人にとって葬儀とは、人生の総決算と位置づけられ、とても重要なものだった。そして同時に、手厚く葬られることがなかったら、死者は冥界にあるとされる「死者の国」に行けなくなり、永遠に地上をさまよい続けると考えられてきた。それゆえ彼らにとっての葬儀は、我々現代人が思う以上に重要な儀式だった。
こうした古代ギリシア人の考え方をふまえ、紀元前8世紀末に完成したとされるホメロスの叙事詩『イリアス』に描き出されたアキレウスのエピソードを振り返ってみたい。
友人の敵討ちに成功したアキレウスが行った数々の所業
アキレウスとは、「アキレス腱」の語源になった、トロイア戦争の英雄である。アキレウスは当時の都市国家のひとつであったアイギナ島の英雄・ペレウスと、海の女神・テティスとの間に生まれた。母テティスは赤ん坊のアキレウスを不死身の体にするために、冥界を流れるステュクス川の水に浸した。その際、不運なことに、テティスはアキレウスの両足首をつかんでいたため、踵がアキレウス唯一の弱点となったのである。
トロイア戦争において、トロイア王子ヘクトルに討たれた名将パトロクロスはアキレウスの盟友だった。復讐を誓ったアキレウスは勇猛果敢な戦いによって、ヘクトルの仇討ちに成功する。しかしアキレウスはヘクトルの命を奪っただけでは飽き足らず、彼の遺体を戦車に結びつけ、ヘクトルの父・トロイア国王のプリアモス、母・ヘカベ、妻・アンドロメダの目前で、彼らの居城・トロイア城の周囲を3周引きずり回した後、自分の陣営で野ざらしにした。そしてその翌日、アキレウスはパトロクロスの葬儀を盛大に行った。パトロクロスは火葬に付されたのだが、何頭もの羊や牛の皮をはぎ、屍の周囲に積み重ねられた。蜂蜜や香油が入った瓶を置く者もいた。そしてパトロクロスが飼っていた馬や犬、12人のトロイア人の捕虜と共に、荼毘に付された。その炎は一昼夜、燃えさかっていたという。
自らの行為を改めたアキレウス
火葬の後、アキレウスは戦車競走・ボクシング・レスリング・徒競走・一騎打ち・鉄塊投げ・弓術・槍投げの8種目から成る競技大会を催し、パトロクロスの魂を慰めた。
このように盛大な葬送儀礼を執り行ったにもかかわらず、アキレウスの心は少しも晴れなかった。彼は毎日荒野でヘクトルの遺体を引きずり回して憂さ晴らしをしていた。ヘクトルの遺体は神々に守られ、腐敗や損傷から免れていたものの、アキレウスの振る舞いに心を痛めたゼウスのはからいによって、アキレウスとヘクトルの父・プリアモスが対面することになった。プリアモスの悲嘆ぶりに我に返ったアキレウスは、部下に命じてヘクトルの屍を洗い浄めさせ、プリアモスに引き渡した。その後プリアモスはトロイア城に戻り、ヘクトルの葬儀を盛大に行ったという。
最後に・・・
この叙事詩そのものは、トロイア戦争にまつわる神話を描いているものだ。しかしトロイアはエーゲ海から黒海へ通じる海運の要衝だったことから、紀元前12世紀頃、実際にギリシア人がトロイアに遠征したとされている。それが神話となって、当時の人々の間で語り伝えられていたものだと推察される。
敵の遺体を引きずり回したり、一方で、友を盛大に見送ったこと、更には自身の憎しみや恨みを乗り越え、遺族に遺体を引き渡したアキレウスのエピソードを、架空の英雄物語と捉えるだけではなく、古代ギリシア人の死、そして葬儀への思いを描き出したものとして見直すことで、彼の行動はもとより、壮麗で多彩な古代ギリシア文明そのものが、現代を生きる我々にとって、より身近で、興味深いものになるのではないだろうか。
参考資料
■ギリシア人の愛と死、
■図説 ギリシア神話【英雄たちの世界】篇、
■ヴィジュアル版 ギリシア・ローマ文化誌百科〈上〉
■ホメロス英雄叙事詩とトロイア戦争―『イリアス』『オデュッセイア』を読む