「古代ギリシア」と聞いて、人は何を連想するだろうか。
壮大なパルテノン神殿?ミロのヴィーナスやゼウス像など、完璧な肉体美を表現した彫刻?アポロンやキューピッドなど、人間臭い神々が多く登場するギリシア神話?それとも、ソクラテスやプラトンなどの哲学者か…「古代ギリシア」というだけで、豊かで多様なイメージがわき起こるのは、言語・学問・文化の源流を古代ギリシアに持つ欧米人のみならず、日本人も同様だろう。
今回は古代ギリシア人にとっての死と葬儀について考えてみる。
古代ギリシャ人はどのように「死」を捉えていた?
古代ギリシア人が思う死とは、人が死ぬと、天国と地獄などの峻別はなく、どんな善人でも悪人でも等しく、冥界(ハデス)に下るというものだ。しかも冥界には、今我々が生きている世界と同じような世界が展開している、「死者の町」があると信じられていた。
しかし、死者の遺体がきちんと埋葬されないと、魂(プシュケ)は冥界に入ることができず、地上を永久にさまようことになると捉えられていた。それゆえ、子が親を弔うこと、死後、子に弔ってもらうことは、ギリシア人にとっての「幸福」だった。
そして葬儀は、人の一生の総決算でもあった。豪奢な葬儀は何度もギリシアの都市国家内で禁止されたが、その習慣が改まり、質素なものになることはなかったという。このような古代ギリシアの豪奢な葬儀とは、どのようなものだったのか。
古代ギリシャ人の葬儀は3幕で構成されていた
彼らの葬儀は「3幕のドラマ」のようだったという。第1幕は、「陳列」(プロテウス)と呼ばれた、遺体の手入れと安置を行うものだ。遺体は洗浄され、今日の我々がアロマテラピーで用いているバラや白檀、フランキンセンスなどの香油を塗られた後、埋葬用の布で包まれる。その後数日間、家族や友人・知人が棺台に安置された遺体に拝礼する。
第2幕は、「野辺送り」(エクフォラ)だ。台車に乗せられた遺体は遺族によって墓地まで運ばれ、その後ろに会葬者と葬送曲を演奏する楽団が続く。楽団の演奏に合わせて、女性の会葬者によって哀歌が歌われる。その他の人々は自分の頭を平手で叩きながら、哀悼の意を表した。
第3幕は埋葬である。古代ギリシアにおいては、火葬・土葬は特に定めなく、死者の生前の意向や、遺族の都合によってなされていたという。
これら「3幕のドラマ」が終わった後、死者は無事、冥界に旅立ったとされ、遺族や会葬者は大いに死者の死を「祝った」という。
葬儀や死を前向きに捉えていた古代ギリシャ人
このような古代ギリシア人の葬儀と、我々のそれとは大きく異なることが見えてくる。悲しく、沈鬱な雰囲気に包まれた葬儀も葬儀だが、もしも自分が古代ギリシア人だったとしたら、地中海の乾いた青空の下、ぜひとも葬儀に参列したくなるし、逆に自分が送られたい気持ちにさせられる。現代の日本の葬儀は、旧来の伝統や習慣を踏襲したものばかりではなく、制約に縛られず、時に「明るい」ものも増えてきたのは事実である。
紀元前700年の詩人・ヘシオドスは、同じく詩人・ホメロスとの『歌競べ』の中で、「死すべき人間には何が最も良いことか」と尋ねた。するとホメロスは「地上に住む者にとっては、そもそも生まれぬことが最も良い。生まれたからには一刻も早く冥王の門をくぐることだ」と答えたという。我々もホメロスが答えた、ある意味楽観的な死生観を見習う格好で、「こんな辛い世の中から、早くおさらばしてしまいたい!」だとか、反対に「何が何でも、絶対死にたくない!」でもなく、今の生を十分楽しみ、そして死んだ後も「楽しいこと」が待っている、と思いながら日々を重ね続けたいものである。
参考文献:ギリシア人の愛と死、 図説ギリシア神話 英雄たちの世界篇、 ヴィジュアル版 ギリシア・ローマ文化誌百科〈上〉、 ホメロス英雄叙事詩とトロイア戦争―『イリアス』『オデュッセイア』を読む