私の父は,私が二人の子供を産んで1年数か月で他界しました。もともと父は慢性の白血病と言われ2年近く闘病生活を送っておりました。
父が入院中、私は出産後、先天性の股関節脱臼が悪化し手術しなくてはいけなくなりました。
私の主人は仕事があったので3歳と7ヵ月の2人の子供を母にお願いするほかありませんでした。
父と私の入院で母の苦労は大変なものだったとおもいます。
大好きだった父親
父はそんなに文句をいう人ではなかったと思います。姉と私、2人姉妹でした。
男の子が欲しかった父は私を男の子のように育てたのを今でもはっきり覚えております。小学生低学年では、夏父と同じように上半身裸で首にタオルを巻いて毎夜過ごしました。私は父が大好きでした。
休みの日は父の後をくっついて離れませんでした。ただ男の子のように育てられた私はやんちゃで母が勤めていた郵便局の中で走り回り、階段から落ちたり、ある時は椅子から落ちて頭を打ち数日入院することもありました。
そんな時父は入院した私に毎朝ヤクルトを届けてくれました。今思えば心配ばかりかけたのかもしれません。自分の子供がケガばかりしてたらやはり心配ですから。
父の名前を一文字もらった長男
父は私の長女をすごく可愛がってくれました。
父の仕事がない時私のところに遊びにきて、孫と遊びそのまま家に泊まらせると連れて帰るほどです。私の娘もおじいちゃんが大好きでした。
父が娘を連れて帰り、仕事帰りに戻った母がなんでいるの?と驚くことが何度もありました。私の長男は父の名前を1文字もらいました。父はそんな事するな、といいましたがとても喜んでいたのを覚えています。
今その1文字は息子の長男に引き継がれています。
長かった闘病生活を終えて亡くなった父親
父の最期はとてもあっけないものでした。ほんとに眠るように亡くなったってこの事を言うんだなって思ったほど。
母は父が寝てると思いそのままにしていたら、来てくれた看護師さんが気付いてくれて、先生が来てバタバタして父は母1人に見送られました。私は連絡をもらって子供2人の出かける支度をして主人に置き手紙を書いて、その時間が父が他界した時間でした。
その後の事はほんとにあわただしく悲しんでる暇はありませんでした。ただ、友引を挟んでしまったので1日父は自宅で過ごしておりました。隣で父の姿をずっと眺めすごくいとおしく感じました。いろいろな事が思い出され感謝ばかりでした。その時は父が亡くなってるとはほんとに思えなくて、いつものように寝ているとしか見えませんでした。
私は父の隣で父の顔を見ながら横になりました。今しか出来ないと思ったから。
葬儀は身内だけの家族葬で行いました。葬儀会社の方々はとても親切でした。初めてでわからない事ばかりでしたので1つ1つ丁寧に教えていただきました。初七日も葬儀の後行いました。お世話になった方々、親戚の人たち、全ていなくなった後、小さい箱に入ってしまった父を見て涙が出てきました。もうあの顔が見れないんだと思うと無性に悲しくなりました。
ただ1つ、父が死んでから私は怖いと思ってたものがなくなりました。
人は必ず死が訪れます。自分も死ぬんだと。でも、また父に会えると思えば怖くないと。父はいつも私や家族を見守っててくれるから。私も一生懸命生きようと思います。