資料請求
心に残る家族葬のロゴ
追加費用不要の葬儀

心に残る家族葬トップ > 葬儀のコラム > 死者は自分の遺体を手厚く葬られたいと思っているのか

このエントリーをはてなブックマークに追加

死者は自分の遺体を手厚く葬られたいと思っているのか

4月16日に起こった熊本地震で、行方不明になっていた大学生・大和晃さんのご遺体が、お盆前の8月10日に発見された。県などによる捜索が打ち切られた後も、独自に探し続けておられたご家族は、きっと胸をなで下ろされたことだろう。しかも地震が起こる直前まで乗っていたとされる車が見つかった7月24日から1週間経ったとき、お父さんが晃さんの夢を見たということに、ご遺体の発見につながる、不思議な因縁を感じさせられる。


平安から伝承された最古の仏教説話集にかかれたある話

787年に成立したとされる仏教説話集、「日本國現報善悪霊異記(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)」(「日本霊異記」とも呼ばれている)に記された、ある話がある。
高麗の僧・道登法師が645年に奈良山(現・奈良坂)の谷を歩いていたところ、1個の髑髏が人と獣に踏まれていたのに出くわした。その様子を哀れに思った法師は、従者の万侶に命じ、髑髏を適切に葬らせた。しばらくして、当時、死者がこの世に帰ってくると信じられていた大晦日の夜に、万侶のもとに、ひとりの男が訪ねて来た。男は自身への弔いと供養の礼を言い、自分が殺されたときの状況(人と畜とに履まるる髑髏収められて霊しき表を示して現に報ゆる縁)を語ったという。

また、1977年12月に、埼玉県秩父市の札所近くの峠の脇にあった貯水槽の中から、女性の腐乱死体が発見された。
しかも峠付近では、死体発見後ではなく、発見以前から、「ヘッドライトに人影が浮んだが、車を止めるとだれもいなかった」、「真夏なのに黒いセーターを着た女の幽霊が出る」といった噂話が流布していたという。しかし筆者が2014年11月に地元のタクシー運転手に聞き取り調査を行ったところ、「遺体が発見されてからは、幽霊の話は聞かない」ということであった。


また現代にも存在した本当にあった話

死者が手厚く遺体を葬られ、供養をされたいかどうかを直接確認する術はない。

しかし、『日本霊異記』に登場する殺された男性、埼玉県秩父市の殺されて遺体を貯水槽の中に長らく遺棄されたままだった女性の「霊」の出現を考えるとき、彼らは自分自身の存在、しかもそれが殺されることによって、永久的に闇に葬られてしまい、人から忘れられ、片方は髑髏を人や獣が踏みつけ、もう片方は、腐乱した格好で貯水槽の奥深くを漂っている悲惨な状況にあることを何とかしてもらいたいと「願っている」と、死者をよく知る人、そして道登法師や従者の万侶といった宗教者、並びに我々を含む第三者が認識していることは十分に窺い知れる。


後悔しない埋葬を選ぶことが重要

これらのことで言えることは、遺族が放置されたままであった死者を手厚く葬り、祈りを捧げること、それを聞き知った第三者が安堵することは間違いないということだ。もちろんその感覚は日本または、主に東アジア地域に固有のことでしかない。墓など、定められた特定の場所に遺体を埋葬することが習慣になっていない国・地域が世界中の至る所に存在し、そしてそのふるまいが、死者を軽視していることの証というわけではない。

とはいえ、現代の日本においては、必ずしも昔ながらの先祖代々の「お墓」に葬られたいと思う人ばかりではなく、桜の木の下などに葬られる樹木葬、大海原への散骨などを望み、それを生きている間に選択できるようになってきた。

ただそこで、もしも死後の「霊」が存在するとしたなら、自分を送ってくれた人に感謝の気持ちを忘れずにいることに加え、時を経て、やっぱりお墓に葬られたい、遺された人々に定期的に供養してもらいたいと思うことがないように、後悔しない選択をすべきなのではなかろうか。

参考文献:日本霊異記、 日本霊異記の仏教思想、 怨霊地図―関東一都六県


ライター 鳥飼かおる
樹木葬という選択: 緑の埋葬で森になる

樹木葬という選択: 緑の埋葬で森になる

このページのトップへ