7月の連休の直前に盂蘭盆の法要と同時に、親族の墓参をしてきた。筆者の菩提寺は都内にあるが、首都圏では旧暦(8月)ではなく、新暦(7月)に盂蘭盆の法要を営む。
ここ数年の間ではあるが、菩提寺を見つつ感じたことを綴ってみたい。
「届けのない墓石は撤去します」という墓石に貼られた張り紙
菩提寺は室町時代(一説には奈良時代に創建)から続く、都内では古刹の部類に入る。時代は若干下るが、天文年間(西暦1530年代~1550年代)の銘文が刻まれている墓石もあるので古刹であることは確かのようだ。
しかし、10年位前から住職が体調を崩し、ついに5年ほど前に住職が変わった。それから境内の雰囲気が様変わりしていった。なかでも目立ったのは墓のある場所だった。古い募石には、某年某月までに届けの無い墓は供養のうえ撤去する旨の張り紙が張られ、その張り紙が非常に目立つと同時に、その殺伐とした雰囲気に違和感を覚えていた。
ビジネス上、仕方がないのかもしれない
そして7月、盂蘭盆の法要が終わり墓参しようと墓のある場所に行くと、思わず目を見張ってしまったのだ。張り紙が貼られていた募石が、一部を除いて全て撤去され、林立していた募石が無くなり、大きな空間がやけに目立っていた。
因みに天文年間の墓石は、考古学的な見地から残されることとなったようだった。住職に聞いてみると、撤去された墓石は、江戸時代の銘文が刻まれた墓石が殆どであり、比較的新しい明治や大正の募石もあったが、全てが50年以上も墓参した旨の届けが無いものだったそうだ。
ビジネスと捉えているわけではないが、寺を運営するには効率化を図らねばならない面もあり、苦渋の決断だったと仰っていた。
墓守がいないと成立しない墓制
現在の墓制が確立したのは何時頃か分からない。しかし、現在の墓制は墓を守る人が居て初めて成立するものであることを再度認識した。
50年以上も墓参の記録が無いということに衝撃を受けたが、原因を考えてみると他人事では無い気がしてきた。子孫を残せなかった。残せたが、子孫が墓を守る役割を放棄した。または、放棄せざるを得なかった。様々な原因を考えた。何れにしても筆者には近い将来直面する可能性が高い問題でもある。
残された選択肢は「墓じまい、共同墓地、永代供養」
墓じまい、そして共同墓地、永代供養。この3つの言葉を考慮するべきかもしれない。当然、墓を守ることが前提なのは間違いないが、その前提が不確実性を伴うものであることを認識してしまった現状だと、やはり考えざるを得ない。
墓友という言葉に代表されるように、新たな時代に即した墓制を考えてみる価値もあるだろう。何にせよ、近い将来に直面する問題を再度確認することができた。それだけでも充分に有意義な盂蘭盆だった。