安土桃山時代、ポルトガルからカトリックの聖職者ルイス・フロイスが来日した。彼は当時の日本社会での見聞を、当時のヨーロッパ社会と比較して「ヨーロッパ文化と日本文化」という本に書いた。その中に、当時の日本の大名・上級武家の葬儀に見られた習俗に関する次のようなくだりがある。
「ヨーロッパでは主人が死ぬと従僕らは泣きながら墓まで送って行く。日本ではある者は腹を裂き、多数の者が指先を切りとって屍を焼く火の中に投げ込む」
火の中に指をいれるという風習
「ある者は腹を裂き」とあるのは、この時代に行われたいわゆる殉死である。しかし、今回筆者が注目したのは、家来が自分の指先を切り、主君の遺体を火葬する火の中に投げ込む風習である。
この風習はフロイスよりも少し後の時代(江戸時代初期)にも報告されている。当時、長崎に近い平戸にあったイギリス商館の長リチャード・コックスが残した日記によると、当時の平戸藩主の親戚であった松浦信実の葬儀の際にも、フロイスが報告したようなことが行なわれている。
この習俗に関する同時代の記録は、筆者の知る限りではこの、どちらも西洋から来日した外国人の手による2点だけである。つまり、「同時代の日本人」による記録がないということでもある。
同時代の日本人による主君への殉死の記録は多いが、その中には主君の葬儀での指切りの風習は記録されていない。そのため、この習俗については、どこまで実際に行われたかということも含めて、よくわからない点が多い。
葬儀に関連する慣習・風習は地域や宗教により様々
ただ、もし実際に行われたとするなら、フロイスやコックスの活動範囲であった西日本、主に九州に限られたしきたりであった可能性がある。そして更に言うと、これは主君の遺体が「火葬される場合」にのみ行われた可能性もある。
現代日本でも、葬儀や仏事に関する風習は、地方や信仰する宗教宗派により大きく異なる。まして情報の伝達に様々な制約のあったこの時代、そうした風習の違いはより大きなものであったことだろう。冠婚葬祭、特に葬儀や関連行事に関しては、日本は歴史的には決して単一文化社会ではなかった。そして、現在でも決して単一文化社会ではないのである。