先日、ウルフと呼ばれ、国民的人気を誇った力士・千代の富士が61歳の若さで亡くなった。
少し前には、ピアニストの中村紘子、ザ・ピーナッツの伊藤ユミ、永六輔、大橋巨泉など、昭和を彩った著名人の死が相次いだ。
今回はそのようなスターの追善メディアについて、考えてみたい。
死絵とは、歌舞伎役者が亡くなった後に描く浮世絵
町人文化が開花した江戸時代においては、人物・風俗・風景などを描いた浮世絵が広く流布し、愛好された。その浮世絵の中に、「死絵」と呼ばれるジャンルがある。
本来死絵とは、歌舞伎役者などが亡くなった直後に、その似顔絵に没年月日、戒名、菩提寺、辞世の句、追善の歌句を添えたものだ(スターよ永遠に 追善浮世絵展)
八代目市川團十郎の死絵は大量に作られた
特に多く制作され、様々なモチーフで描かれたのが、安政元(1854)年に、32歳の若さで、旅先の大坂で謎の自殺を遂げた、八代目市川團十郎を画題としたものである。
例えば、武士の死装束であった姿で、今まさに切腹しようとしているもの、死出の旅に向かいつつある股旅姿や僧侶姿のもの、舞台での当たり役を演じているさま、釈迦涅槃図や蓮華往生など、仏教絵画をベースにしたもの、泣き悲しむあまたの女性ファンが、團十郎を死の国に連れて行こうとする赤鬼を押しとどめようとするものなど、浮世絵師の創造力の豊かさ、表現の精緻さに感嘆させられる作品が多く生み出された。
(林美一「死絵考 その下 –八代目市川團十郎切腹事件」『浮世絵芸術』46号 国際浮世絵学会編集委員会編 1975年11月;原道生「歌舞伎の死絵について」『明治大学公開文化講座「生と死」の図像学』明治大学人文科学研究所編 風間書房 1999;藤澤茜『浮世絵が創った江戸文化』笠間書院 2013)。
現在の追善メディアの代表はテレビの再放送など
今日の追善メディアには、特別番組の放送、追悼記念版の書籍・CD・DVD などの販売が挙げられる。
ちなみに「死絵」を通してスターの死を追善する行為は、明治期に写真が西洋からもたらされたことがきっかけとなり、浮世絵そのものが衰退してしまったことから、現在ではすっかり忘れ去られてしまっている。
現代版の死絵に期待!
生前のリアルな姿を写し出した写真や映像もいいが、筆者はあえて、キャラクター化され、シンボル化された形の「死絵」を勧めたい。
そして、村上隆や奈良美智のような、現代の日本を代表するポップアーティストや、彼らに続く若手アーティストたちに、時代を彩った大スターの「死絵」を描いてもらいたいとも考える。
浮世絵は言うまでもなく、日本の漫画やアニメは、言語や国境、国同士の政治的・経済的・歴史的なしがらみを超え、世界中の人々に愛されてきた。江戸期の死絵は、当時の浮世絵界では亜流・傍流だったため、現代版の「死絵」も同様の立ち位置になるだろうが、日本ならではの、スターを悼む方法を今こそ、世界に発信してもいいように思われる。
参考文献:死絵考 その下 –八代目市川團十郎切腹事件」『浮世絵芸術』46号 国際浮世絵学会編集委員会編、原道生「歌舞伎の死絵について」『明治大学公開文化講座「生と死」の図像学』明治大学人文科学研究所編、浮世絵が創った江戸文化