いわゆる昔ながらのスタイルの死装束を作る際は、基本的に返し縫いや糸止めをしない。このしきたりには、様々な理由がある。しかし、より大きな理由が2つある。
1つは、死者の衣装などは、生者と様々な点で逆にすべきという信仰である。もう1つは、死者がこの世に思いを留めたり、この世に引き返してきたりしないようにというまじないの意味もある、ということである。
これに若干似たしきたりが、実は、日本だけではなく清朝時代の中国にもあった。
清朝時代の中国で使われていた死装束にはボタンや結び目が禁忌とされていた
清朝末期に中国に滞在した英国国教会の牧師ギルバート・ウォルシュは、当時の西洋の人々が、中国で様々なTPOに則り、円滑に生活するにはどうすべきかを書物として書いた。その中に、当時の中国での葬儀文化に関する詳しい記述がある。
それによると、故人に着せる死装束には、ボタンや結び目があってはならない、とされている。ウォルシュは、その理由をこのように報告している。
中国語では、結び目を意味する「結」は、困難やいら立ちを意味する「急」と発音が同じである。そのため、冥界への旅をする死者が、困難に見舞われるのを防ぐ意味で、結び目を排除した衣装を死装束とするのだという。
ウォルシュの報告では、ボタンや結び目が死装束から排除された理由は、こう書かれた。彼が書いたことだけでなく、死者の習俗は生者と逆にすべきという信仰も、ボタン・結び目の排除の理由とされた可能性は高い。
なお死装束では、ボタンなどの代わりに、蝋燭の芯が接合部に使われた。これは、冥界への旅の途中にあるとされる「悪狗村」と呼ばれる土地で、犬に襲撃された際に、犬を追い払う杖になるといわれていた。
違いは経文を書く日本の死装束とかかない中国清朝の死装束
その中に、「故人に着せて埋葬する衣服や靴などからは、毛皮や皮革を排除する」というものがある。これは、故人が輪廻転生によって、人間以外の動物に生まれ変わらないためだという。
また同じように、故人の衣装からは、文字を徹底して排除する。衣服・靴などに、現代でいうところのブランドロゴが付いている場合、そのロゴに文字が使われていたら、取り除いて故人に着せる。なぜ文字が排除されるかというと、文字は神聖なものであるという信仰のためである。文字を遺体と一緒に埋葬することは、文字の神聖さを冒涜する行いとされ、罰として故人の子孫が知性を欠くようになると考えられていた。
日本の伝統的な死装束には、経文が書かれるのが一般的であったが、この点は、清朝の葬儀習俗とは大幅に異なる。
参考文献:清国作法指南 外国人のための中国生活案内