現代の日本では、病気や怪我をした人への見舞いに椿の花はタブーとされる。その理由としては、「椿の花は、散る時に花全体が枝から落ちるのが、あたかも人の首が落ちるようなイメージだから」と、よくいわれている。
しかし、見舞いに椿の花をタブーとする理由を、「人の首が落ちるのを連想させるから」とする考え方は、実は一部の地域の文化が、日本全国に広まったものではないかという説もある。地域によっては、「椿は死者に捧げられる花なので、再び健康を取り戻すべき生者への贈り物にふさわしくない」という考え方が、強かったようである。
椿を「死者に捧げる花」としていた地域もあった
実際、日本の幾つかの地域では、墓地やそれに類する場所に椿が植えられることがあった。地域によっては、墓石代わりに植えられるケースもあったようである。特に、いわゆる「由緒ある木」とされる椿の古木のある場所の中には、要人の墓または供養塚とされる伝承のあるものも多い。
このように、幾つかの地域では、椿は死者に捧げられる花とされることが多かった。そしてそのことを理由に、家の庭に椿を植えるべきでないとするしきたりは、日本の様々な地域にある。一方、同じく庭に椿を植えることをタブーとする場合でも、地方によっては、花の散り方が、人の首が落ちるのに似ているからとするところもある。
椿を死者に捧げるという慣習は日本だけでなく東アジアにも存在した
様々な場面で、椿を生者にとってのタブーとする大きな理由は、どうやら2種類あるようだ。つまり、「死者に捧げられる花だから」というのと、「花の散り方が、人の首が落ちるのに似ているから」というものである。
なお、椿を死者に捧げる習俗は、日本だけではなく東アジアの他の地域にも存在した。
例えば、中国南部の一種の少数民族である「客家」の人々にも、椿の「花」ではないが、椿を死者に捧げる興味深い伝統があった。椿が登場するのは、一度土葬した遺体を、何年か後の白骨化した頃に掘り出し、一つ一つの遺骨を洗い清めて改葬する「洗骨」の時である。
日本の沖縄文化圏や九州の一部を含む、東アジアの幾つかの地域にかつてあった洗骨の習俗では、洗骨は海水あるいは一般の水が使われていた。しかし、客家の人々の洗骨には、椿油が使われていた。なぜ椿油で洗骨をしたのかについては、詳しくはわかっていない。しかし、これもまた、「椿を死者に捧げる習俗」の一つであるということだけは、確かである。