先日、福岡アジア美術館で中国の現代美術家・ワン・ホンジェンが描いた、『山の野辺送り』(1994)を観た。
ワンは、自身が生きている中国の大いなる自然と、自然と共にあるさまざまな小さな生命との対比を意識しながら作品を制作している。この絵はもともと、1987年に、ワンの故郷である河南省で、身内の老人の葬儀に接したのがきっかけで生まれたという。8年間、さまざまな試みを重ね、舞台をかつて秦や唐の都が置かれていた黄河流域、省北部の楡林市王家湾に移し、完成させた。陝西省は中国北西部に位置する砂漠地帯の砂が、長い年月を経て風雨や黄河の流れによって運ばれ、堆積した地帯が広がっている場所である。
傍らに置かれた棺
8年間、さまざまな試みを重ね、舞台をかつて秦や唐の都が置かれていた黄河流域、省北部の楡林市王家湾に移し、完成させた。陝西省は中国北西部に位置する砂漠地帯の砂が、長い年月を経て風雨や黄河の流れによって運ばれ、堆積した地帯が広がっている場所である。
日本の里山のような緑や潤いがなく、乾き、やせた土で覆われた茶色い山稜を背景とした本作を眺めてみよう。左側に置かれた棺には、老人が葬られることを表す赤い布がかけられている。長寿を全うした老人への寿ぎのみならず、赤い色が持つ活力や華やかさゆえに、苛烈な自然に呑まれずに生きて来た人間の生命力のたくましさを主張しているようにさえ見える。また、棺の右側に参列している人々に目を転じると、棺のそばで、葬送儀式に関連すると思しき、黄色い飾りを持つ者がいる。彼らは一様に、頭に被り物をつけ、白い服を身にまとっているが、人を喪った悲しみゆえに、身を振り絞って泣き叫ぶ湿っぽさは全くない。死んだ者の肉や血は白骨となり、やがて白骨は崩れ、最終的には背後の巨大な黄土に還る。自分が在る場所の現実をあくまでも静かに、しかも哲学や思索などの難解な理屈抜きに、何千年にも渡って見届けてきた、またこれからも見届け続けていこうとする態度が、たくましくも敦朴に、そして淡々と描かれている。
日々感じ悩みながら生きていくしかない
葬送を通して、人間の命、そして生きる力を描いたワンの絵から、我々が考えさせられることは何だろうか。それは、自分の周囲にいる人間を喪ったとき、いかにその事実を受け入れ、「送る」のか、ということだ。葬儀には人それぞれの考え方、多様な習慣や形式、その場に臨む人々に求められる態度がある。全ての人を満足させる正解は存在しない。ただ言えることは、自分を含め、人は必ず死ぬ。死を含めたある個人の一生を無駄にしないために我々は、日々感じ、考え悩み、笑い、怒り、忘れ、そして時折昔を思い出しながらも、自分の命が尽きるまで生きるしかないのだ。
※画像提供:福岡アジア美術館)