「喪服の色は?」ーーわざわざ聞かれると、最早応えることすら億劫になるほど今となっては当たり前のマナーであり、100人が100人、間違いなく黒と応えるだろう。
しかし、江戸の昔には遺族の喪服は白だったと聞くと少し驚きやしないだろうか。それが今では黒が当たり前。ではいつ黒が喪服の常識になったのだろうか。
喪服は黒という常識は、実は比較的新しい常識だった
それは諸説あるようだ。一つは明治時代、外国の喪服の色を皇室が取り入れ、それが一般まで及んだという説。あるいは日清・日露の戦争中あまりに葬儀が多くて貸衣装屋が汚れの目立たない黒にしたという説も残されている。とにかく色々な説があるようだが、明治時代から喪服が黒に変わったのは間違いないようだ。
しかし、明治44年9月に37歳で死去した日本画家の菱田春草の葬儀で「白い喪服を着た未亡人が、3人の幼子を連れて葬儀場に姿を現した時、参列者たちは涙を禁じ得なかった」という記事が残されている。
これを読むと、明治の末年まで一般の葬儀では白が使われていたようだ。地域の慣習などもあり、一斉に白から黒に変わったわけではなく徐々に時間をかけて黒が喪服として浸透していったのだろう。
当たり前だと思い込んでいた「喪服は黒」という常識は、実は案外新しいものだったのだ。
そもそも喪服は白と黒を交互にしてきた
では、日本人の喪服はずっと白だったのかというと、そうではない。
平安時代、源氏物語やそのほかの文学作品に「鈍色(にびいろ)」が喪服として用いられたという。鈍色とは薄墨色や濃いねずみ色を指し、やはり黒っぽい色を当時の貴族たちは喪服として使用していたのだ。
では、それがいつ白に変わったのか。残念ながらはっきりと時期が指定できないそうだ。そしてもっと古代になるとやはり白が喪の色だったであろうといわれている。
つまり日本の喪服の色は白から黒っぽい色、また白に戻って現在は黒という変遷を緩やかにたどってきたのだ。
喪服の色と同様に、葬儀の形式も変わり続けていくかもしれない
こうしてみると常識とは案外変化していくものだということに気づかされる。今では当たり前となっていることも、しばらくすればそうではなくなっているかもしれない。
それは葬儀の形式にも同様のことが言えるだろう。
現在、流行の家族葬は、いわゆる小規模な葬儀を指している。これは以前の大規模な葬儀からの反動だと言われている。今となっては以前のような大規模な葬儀に戻るなんて中々考えづらいことではあるが、喪服の色が変遷してきた歴史を考えると、その可能性を否定することは誰にもできないのではないだろうか。