筆者の夫が亡くなったときには、病院の霊安室にはろうそくと線香の火が揺らいでいたのだが、まだ幼い子供たちがウロウロとして危ないので、さっさと吹き消してしまった。夫はクリスチャンだったから、それでいいのだ。
ろうそくを灯し続けたのは、衛生上必要だった?!
ちなみに「通夜」とは文字通り「夜」を「通して」、故人を見守るという意味だ。
一晩中、遺族が故人のそばで、ローソクの火・線香を絶やすことのないように見守って過ごすのだが、一般的には、「死者がさみしくないよう、また、迷わずあの世に生けるようにみちしるべとして」という説が有力である。
しかし、実はもっと実用的な理由で、灯し続けたのではないだろうかという諸説も存在する。
それは衛生面で採用された説だ。つまり衛生状態が現代ほど良くなかった時代には、香による浄めの効果や、死臭を消す役割もあったということだ。
また当然、獣などから遺体を守る必要から火を灯し続けた可能性もあるのではないか。
これらを考えると、今の時代、火災の危険性を考えると、あまり必要のない習わしかもしれない。
墓石も元々遺体を掘り起こされないようにするために必要だった?!
通夜にろうそくや線香を灯し続けるという慣習が、当初きっと実用的な理由があったと考えるのが自然だと筆者は考えるが、これと同様なことが墓石にも言えるかもしれない。
今でこそお墓を建てるなら、当然墓石を購入する。しかし、そもそもどうして墓石が必要だったのか、それは遺体を動物に掘り起こされないように、そこに石を積み重ねたのではないかという説である。
墓石には故人への敬愛の目印としての意味がそこまでなく、実用面で採用された。しかし、それが時間の経過とともに、そこにかつての故人が眠っている事を想起させ、その存在に思いを馳せるようになったのではないだろうか。
実用的だったものが次第に形式的なものに変わっていった
結局大事なことは、灯を守ることそのものよりも、故人と過ごす最後のときを如何に大事にするかではないだろうか。
またお墓を建てることよりも、故人をどう供養するか、ということについて真剣に向き合うことが重要なのではないだろうか。
葬儀には様々な独自の慣習がある。その慣習が形式的なものとして引き継がれているのではなく、実は実用的な効果があったからこそのものだったと考えると、葬儀や供養自体の見方も幾分変わってきやしないだろうか。
葬儀業界は原点回帰が声高に叫ばれているが、慣習の起源を考えるだけでも、改めて何が大事なのかを見つめなおす良いきっかけになるだろう。