葬儀とはお金がかかるものらしい、というイメージはごく一般的なものだろう。
その中でも最も不透明で高額なイメージのあるものが、戒名にかかる費用ではなかろうか。
葬儀費用全体の15%程度もかかったお布施
私の父の葬儀をした際、父が危篤の間に覚悟を決めた母は自分で葬儀屋を決めて手配しており、遺体と共に帰宅してすぐに葬儀の打ち合わせは始まった。
私の家はどこかの寺の檀家というわけではなく、墓も宗教宗派問わず受け入れている霊園に建てるつもりだった。その旨を説明すると、葬儀屋がどこかの寺の住職に依頼して戒名を付けてもらえるとのことで、値段は三段階の明確な料金を提示された。具体的な金額についてはご容赦いただきたいのだが、葬儀屋に払った全額の中の大体15%ぐらいだったと記憶している。
戒名は葬儀の前日に、葬儀屋を通じて依頼を受けた住職からファックスで届いた。
父の名前の漢字一文字と、趣味と職業と人となりを表した漢字を組み合わせた六文字が筆字で書かれていた。
それを見た家族の誰もが首をひねった、というのが当時の正直な感想だった。
しかし戒名というものについて詳しく知る者は誰もいなかったし、寺の住職に付けてもらうものだと思っていたし、そういうものなのだろうと思うほかなかったのだった。
その戒名で位牌を作り、墓に刻み、今でも位牌は仏壇に置かれているし法要の際に使われている。
そういうものだと思っていた私が衝撃的な事実を知ったのは、それから3年程たった頃だった。
自分で戒名を付けた朝山実氏
偶然聞いていたラジオ番組で、父親の戒名を自分で付けたという人物が話をしていたのだ。
それは朝山実氏という作家で、その体験を「父の戒名をつけてみました」という本にもしたらしい。当時檀家だった寺の住職からは相当酷い対応をされたらしいのだが、最終的には自分で父親の戒名を付けたいという願いは叶ったそうなのだ。
戒名には使ってはいけない漢字もあるらしいのでそれなりの準備をする必要があるのだが、出来ることならばあの時、父の戒名を自分で付けたかったと私は思った。朝山氏の家は寺の檀家だったためかなり苦労されたようなのだが、寺との付き合いが全くなかったうちの場合はそんなに難しいことではなかったのではなかろうかと思う。
しかしあの時はそんなことが出来るとは知らなかった、というよりも、その発想すらなく、葬儀屋も打ち合わせの時にそんな話は一切しなかったのだった。
家族がつけるなら、費用もかからず、いい戒名だと思えるはず!
人によって意見が別れるところだろうが、故人をよく知る遺族などが戒名を付けるというのも選択肢として有りだと個人的には思う。前述した本以外にも「戒名 自分で決める」等で検索すれば情報はいくらでも得られるので、このコラムを読まれた方には記憶に留めていただきたい。
葬儀で位牌を眺めて「いい戒名だね」と言っている方を見掛けることもあるが、いい戒名とそうではない戒名の差が私には未だによくわからない。しかし故人をよく知る者が故人を思って考えたものならば、いい戒名だと思える可能性は高くなるのではなかろうか。