葬儀は突然にやってくる。
懇意の葬儀屋さんがいれば、長患いの人の家族は、「そのとき」のためにある程度の準備ができる。
しかし、葬儀全般の準備かというとそうではなく、お通夜に至るまでの亡骸の安置場所を確保するぐらいのものである。
それ以上の準備は、やはり、心情的には「そのとき」が来てから・・・だと思う。結局、葬儀は突然にやってくるのだ。
良し悪しは別として、相談相手がいなかった喪主
喪主になった若者は29歳、3年前に母を、そして先日父を亡くした。
葬儀屋さんが、父の亡骸が病院から帰ってくるとまもなく現れた。丁重にお悔やみを述べて葬儀の手順を説明し・そのための準備を促した。しかし若者には良かったのか悪かったのか、相談のために駆けつけてくれる縁者が近くにいなかった。若者は葬儀社の助言で大体のお通夜、告別式の準備をした。
滞りなく葬儀が全て終わったあと、親戚から非難の声が上がった。霊柩車だ。
色々と口を挟んでくる縁者
今、霊柩車は一昔前のような宮型霊柩車のような車はあまり見かけない。しかし、この話は約30年前なので、葬儀の霊柩車は宮型霊柩車が定番だった。
若者は、今使われているような洋型霊柩車を選んだ。親戚たちは、「◯◯さん、最期にあんな車で送らされて・・・。」と、◯◯家の代表とばかりに、あの車はふさわしくないと若者を詰った。若者にどちらを選ぶ・・・という選択はそれほど重いものではなく、葬儀社の「最近はこちらを選ぶ方が多くなっております。」と洋型霊柩車を指し示した提案に「お願いします」と頼んだだけだ。
車だけではなく、お葬式は縁者にとっては話の種になる。引き出物・お坊さんの説教・祭壇の飾られ方・花束の数(今は花輪はあまり使われなくなった)・果ては戒名まで。もちろん、好意的な縁者の方が多いと思うのだが、血のつながりゆえに、仲が良くも悪くも葬儀となると口を出したくなるようだ。仲が悪かったら最悪だ。同じ◯◯家と名のつくお葬式なのだからひとこと言ってやらねばならぬ・・・とばかりに口を出し、終われば自分が気に食わなかった点を種にする。
悩んではいても、手を抜くことはないのだからお手柔らかに
突然葬儀がやってきたとき、喪主は、悲しみにくれる暇がないほど、葬儀に関わる形式の選択の多さに閉口するだろう。そして、きっと縁者に相談するだろう。そのときに喪主と一緒に考えればいい。
縁者の方々の喪主の心に寄り添う暖かい応援をお願いしたい。とはいえ、人の口に戸は立てられない・・・。どうぞ、お手柔らかに。誰だって、亡き人を思って葬儀を執り行うことに、さんざん悩みはすれ手を抜くということは考えられないから。