人が好む嗜好品という物は、大概良い香りがするもの。珈琲、紅茶、アロマ、お酒にも当然香りはあるし、勿論煙草にも。このように並べた嗜好品の代名詞とも言えるそれらではあるが、私が堪らなく好きなのがお線香である。
懐かしい光景を思い起こすお線香の匂い
これは大事なので念押しをすると、香りを楽しむお香ではなく、”ただのお線香”であり、仏具としてのお線香である。
あのお線香の細く、しかし、柔らかに鼻の奥に刺さるあの匂いが幼少の頃より堪らなく好きであった。
あの匂い、所謂 ”おばあちゃん家の匂い” は毎回私を郷懐と安堵に包み込んでくれるのである。そして、大人になった今でも、あの匂いは私の鼻腔を通して、懐かしい光景を蘇らせてくれるのだ。
お線香の匂い、それは死者への食事
お線香が墓前や仏壇に捧げる物であることには相違ないが、では一体何を捧げているのであろうか。
それは無論、私も好んで止まないあの”匂い”であり、その”匂い”こそが死者の食事なのである。このことは古代インドの経典に記されていることから仏教が成立した時には「お線香の匂い=食事」という概念は生まれていたのであろう。そうなるとお線香は供物としての意味合いが大いに強かったことが想像される。
細く、薄く、スルスルと立ち昇るお線香の煙。あの煙を吸って、その匂いを食べる。現世に生きる私たちには全くその味の想像が付かないし、果たして美味しいのかどうかも怪しまれるところである。それに対してお香はどうであろうか。調べてみると、何やらスタンダードな物からフルーツ、ハーブの香り云々、と様々なフレーバーが存在している。成る程、これはあの細いお線香よりも確実に美味しそうである。私が冥界に旅立った際には、白米と納豆フレーバーなぞをご所望したく思わずにはいられない。きっとあの世にいってもご飯への執着という煩悩は捨て切れそうにないと思われる。
以前よりももっと身近になりつつあるお香
お線香とお香を”食事”という面で分けてみたが、総括するとお線香はお香の一部であるということである。更に言うなれば、現代においてはお線香にも様々な匂いのする物が多く存在するのだそうな。どうやら「お線香=墓前・仏壇」という刷り込みイメージによって、盲目になってしまっていたようである。少しお堅い仏具から、人々に癒しをもたらすアイテムへと変化しているお線香は、どうやら需要は多そうで、あの匂いを好んでいるのは私だけではないようである。
仏具から日常使いのアイテムへ。仏教が今よりも生活に密接していた過去からすると、これは目新しいことでは決してなく、むしろ原点回帰のようにも思える。お線香を供える、お香を焚くということの目的は違えど、これが未来へと継承され続ければと願う。この文章を書く片手間に珈琲を飲んでいるのだが、どうやら珈琲フレーバーの”お線香”があるらしい。冥界でも珈琲ブレイクが楽しめるとは、いい時代になったものだと思わずにはいられない。