『玄関を開けると、呂律の回らない学生がうろうろしていて、非道く迷惑だ』。一見何を意味のわからない言葉を並べているのだ、と訝しがるのも当然のことだとは思うが、この文章を書くために作為的に並べられた、この複数の言葉の共通項を見つけることができるだろうか。
日常的に使われている仏教用語は数知れず
この情景を想像してみると筆者自身でも、何とも云えぬ薄気味の悪さを感じずにはいられない。
しかし、実は最前の一文は全てが仏教用語によって構成されているのである。
現世に転じ、日々私たちの口から吐き出される仏教用語は数知れず。今回はそんな意外な形で使われている仏教用語をいくつか紹介しようと思う。
インドでうまれ、その後中国で漢字となり、日本に伝わるに至った
まずは冒頭の一文中の『玄関・呂律・学生・うろうろ・非道く・迷惑』、この六つの語がそれに当たる。
『玄関』は仏門への入り口を、『呂律』は節を付けたお経である声明(しょうみょう)の調子を、『学生』は仏教を学ぶ者、『うろうろ』は『有漏有漏』となり、溢れる煩悩を、『非道く』は道を外れる様を、『迷惑』は道理に迷い、途方に暮れる様をそれぞれ表している。
そもそも仏教用語とはその名の通り仏教において使用される言葉であり、その起源はインドにある。それが中国に渡った後に漢字となり、日本に伝わるに至った。日本人に仏教が広まったのが538年、それから時を経るにつれ、私たち日本人の生活から仏教は遠ざかるようになったが、仏教由来の言葉たちは生活の一部にあり続けたのである。
挨拶、説教、我慢、覚悟、出世なども仏教用語
前文で紹介した言葉は数多ある仏教用語のほんの一部に過ぎない。無意識下の内に数多の言葉を普段から口にしているのである。
例えば、これから卒業・入学(入社)など新生活の幕開けで交わすことが一段と増える『挨拶』。
これは禅寺で用いられ、修行僧と師との問答のことを指している。いざ入社をすれば『那由多』のように覚えることがあるわ、上司の『説教』はあるわで暫くは『我慢』の日々。それでも『覚悟』を決めて腹を括り、『出世』を夢見て日々『精進』。などなど、新生活というワードに当てはめただけでも身の回りの仏教用語は尽きないのである。
仏教から離れ、一人歩きをしているうちに次第に解釈も変わり始めた
しかし、これら仏教用語は長い年月を経て、特に『仏教』から離れて一人歩きしているうちに、元の解釈とは違った意味合いを含むようになっていった。
上記で挙げた『説教』は、元々は仏が教え説くことであり、間違いなく正しいことが前提となっている。しかし現在では聞くだけで煩わしい小言、という認識が先行してしまっている。『出世』という言葉は主に会社などの組織内での昇進を指している。勿論、その意味合いが含まれているのは事実だが、仏教本来の意味としては、俗世間を離れ、煩悩を捨て、悟りを開くことを指しているのである。結果として、今現在の言葉の意味とは正反対の面を持ち合わせているのである。
さて「有り難し」はどのように変化して「ありがとう」になったのか
『ありがとう』という言葉も例に漏れることなく仏教由来の言葉である。
本来は『有り難し』と記し、『有ることが難い・めったにない』から『めったにないことをしてくれて感謝している』という感謝の意を持つに至ったのである。
ここまで読んでくださったことに筆者も『有り難し』の気持ちで溢れんばかりである。
私たちの日常に溢れる仏教用語は数え切れない。あなたが日々口にしているその言葉も、実は意外な側面を持ち合わせた仏の言葉かもしれない。