仏教の世界では、故人の葬儀以後も何年にもわたり法要を行います。浄土真宗の場合であれば、初七日から始まり、四十九日法要、十三回忌、三十三回忌を経て五十回忌で弔い上げとなります。
ところで、人間は3世代で100年を費やすと言われていますが、五十回忌ともなると、今まだ健在の親族の長老よりも2世代ほど遡る人物になると考えられます。
私が高祖父の五十回忌に出席したのは、中学2年生の時でした。私が生まれる前に高祖父は亡くなっていたために、もちろん当時の私には「故人を偲ぶ」気持ちがありませんでした。
それよりも私が不思議に思ったことは、私と同様に高祖父が亡くなった当時にまだ生まれていなかった母親が、合掌をしていた光景でした。自分が見も知らない、ましてやお世話にもなっていない先祖に対して、その死を素直に弔うことは私には抵抗がありました。
五十回忌で一段落!
そもそも五十回忌とは、仏教においては人間も50年経てば、生前に犯した罪が無罪となり極楽浄土に行けるとされていることを端緒にしています。
そこから転じて、故人は五十回忌をもって個人ではなく先祖の霊の中に数え上げられると考えられ、個人への弔いを意味する諸々の法要は終了します。
仏壇からも位牌などの道具が片付けられ、一段落といった雰囲気となります。
五十回忌にもなれば、人だけでなく土地や文化も変化
私が感じた抵抗感の正体は、この五十回忌の時代錯誤な点にありました。
ある故人の五十回忌を迎えるまでに変化するのは、人だけではありません。土地や文化も大きく変化します。具体例を挙げるのであれば、日本は高度経済成長期以降、人口の都市化が進み家族観が大きく変化しました。今や都市部や郊外の住宅において『サザエさん』一家のような二世帯住宅を滅多と目にしません。それだけ核家族が多くなります。
核家族化が進めば、土地のサイクルも短くなります。自分の両親がなくなって50年も経つ頃には自分も亡くなっているやもしれませんし、引っ越す回数も長期的に見れば多くなります。
親戚一同が集まることに意味がある五十回忌
では現代のこのような変化の中で五十回忌を迎える故人、すなわち我々一族を守ってくれる先祖となる準備をする故人は、何を守ってくれるのだろうか。これが私の感じた抵抗感です。
ここで考えられる答えが、今や希薄となりつつある親戚関係ではないでしょうか。
都市部に引っ越せば年に数回実家に帰省するだけにとどまり、その予定の相違から親戚一同が会する機会も少なくなってきています。しかし重要な弔い上げの法要ともなれば、行かないわけにはいきません。会場へ行けば、自然に数十年来、もしくはあったこともない親戚と顔を合わせることになりましょう。親戚内でのひと時の団欒がここにできるわけです。
自分のルーツを再確認させてくれる五十回忌
したがって、「どうして五十回忌をするのか」という問いに現代風に答えるならば、法要に親戚一同が集まる事で、自分は自分の知らない先祖の血でつながった集団の一人であるという、自分の出自に関する重大なアイデンティティ―自分が還る場所を見つける感覚―を満たしてくれるから、だと言えます。
思えば、高祖父の五十回忌後の会食で、普段「大人しくしなさい」と注意する側の大人たちが存分に騒いでいたものでした。