先日お届けした「霊園散策」のコラムに関連して、今回はいざ散策に出かけるとしたならどこがオススメなのか、都内の中でも 23区の内にある大きな霊園を中心に掘り下げていきます。
青山霊園に眠る歴史的政治家とは?
今回まず注目するのは、港区に所在を置く「青山霊園」です。
かの霊園は墓地としての役割だけでなく、都内における貴重な緑地公園としての役割も担っており、散策するにはもってこいな程に整備が行き届いています。
また、青山霊園の魅力はそこだけでなく、歴史的政治家をはじめとする数々の著名人のお墓が園内に点在しています。
そこで以下では青山霊園に特徴的な「歴史的政治家」のお墓に焦点を当ててご紹介します。
明治維新の立役者「大久保 利通」
言わずと知れた明治維新の立役者の一人であり、岩倉使節団に参与して海外の見聞を広めた後に初代内務大臣、首相を歴任。
国内外問わず活躍した人物です。彼のお墓は 5メートルほどの非常に大きなお墓であり、彼の権力の大きさを象徴しています。
(photo by wikipedia)
初代文部大臣「森 有礼」
初代文部省大臣。
イギリスに密航するまでの彼の学問への熱は、日本の近代教育、学校制度整備へと余すところなく向けられました。今でも文部科学省内には彼の『自警』の書が教育者の心構えとして掲げられています。
(photo by wikipedia)
自由民権運動の指導者「植木 枝盛」
明治期の近代改革の中でも大日本帝国憲法制定に際して、独自の意見から「私擬憲法」を世に出したインテリです。
ルソーをはじめとする近代社会理論を東洋の伝統思想の中に織り込もうと奮闘した生涯でした。
(photo by wikipedia)
5・15事件で暗殺された「犬養 毅」
政治家としての活動よりも5・15事件によって射殺されたしメージの強い彼ですが、現代日本に欠かせない政党政治の基礎づくりに尽力した政治家であったことも忘れてはなりません。
彼は青山では次男と静かに眠っています。
(photo by wikipedia)
日独伊三国同盟締結の立役者「松岡 洋右」
こちらも本来の職務よりも象徴的イメージも強い政治家であり、戦前日本の国際連盟脱退の際に実際に会議の場から退場した張本人です。その後も「日独伊三国同盟」の締結を行いましたが、霊園にはひっそりと見落としてしまいそうな小さな墓石のみです。
(photo by wikipedia)
サンフランシスコ講和条約で日本の主権回復を行った「吉田 茂」
「サンフランシスコ平和条約」で日本の主権回復を行った総理大臣。
ユーモラスを忘れなかった彼ですが、墓石は白く飾り気もありません。
しかしそれは彼の頑固さと共に実直な精神を映し出しているのではないでしょうか。
(photo by wikipedia)
日本の高度経済成長を支えた「池田 勇人」
「所得倍増計画」制作のもと、日本の高度経済成長を支えた首相。
彼には「私はウソは申しません」など流行語にまでなった語録も多いが、やはり経済成長に裏打ちされたそのしたたかさは侮れません。彼の墓石もそんなしたたかさ故か、少し長い目立つ外見をしています。
(photo by wikipedia)
政治家以外にも多数の著名人が眠る青山霊園
以上、青山霊園にて今も眠っている歴史的政治家のほんのひと握りではありますが、ご紹介しました。
もちろん青山霊園に眠っているのは政治家だけではありません。細菌学の大家である北里柴三郎や、『暗夜行路』で有名な文豪 志賀直哉も眠っています。お墓というのは大久保利通や池田勇人のように生前の個性を反映しているものもありますが、ほとんどが一般の方のお墓と見分けのつかない外見をしています。霊園を散策なされる際は、是非「霊園マップ」を片手に周るのが良いでしょう。
次回は雑司ヶ谷・護国寺周辺の著名人のお墓をご紹介します。