古代エジプトでは、誰もが死後の世界を信じていた。その世界は、死んだ者の社会的地位によって異なるが、誰もが死後の世界に必要な道具を用意していた。道具の大半は生活に必要なものであり、化粧道具、玩具、楽器、武器等が墓から出土されている。また、死者に食べ物を備え続けることが必要であり、墓によっては、穀物や魚、肉、菓子、果物、ブドウ酒などの料理が、棺の近くに供えられた。供え物を記した石碑を墓に置くことで、その供え物に“呪”の力を宿らせた。
古代エジプト人の死生観とミイラとの関係
古代エジプト人は死後も生命を保ち、永遠に生き続けられる。そのために供え物が捧げられる必要があった。そして死者の魂は定期的に墓に戻ってきていると考えられていた。死者が死後も生活を送ることができるように遺体をできるだけ完全に保存する必要があり、“ミイラ作り”が行われた。
死後も生き続ける
ミイラは肉体の腐敗を防ぎ、死者の生前と同じ姿に保つようにしたばかりではなく、魔法の呪文や建築上の配慮により、墓や副葬品の略奪を防いだ。魂を維持する呪文も施されていた。古代エジプト人は“名”というものを大切にしていた。名を残すことにより、死者を忘れてしまっても、死者は名と共に永遠に生き続けられる。名には神秘的な力があると考えていた。遺体や像には死者の名が記されており、故人の記憶を永遠にしていた。
死者の書とは
「死者の書」は1842年ドイツのエジプト学者レプシウスが「ツリン・パピルス」という165章のパピルス文章を「エジプト人の死者の書」として出版したことが始まりである。
「死者の書」はパピルス巻物の中に記されており、棺の中やミイラの両足の間の訪台の中に収められていた。死者の告白、懇願、祈りなどが一人称によって語られている。葬儀の際に神官により唱えられる呪文であったが、死者自身自ら唱えられるように共に埋葬された。「死者の書」は特定の個人に向けて作られて者だけではなく、公式ブックとして販売されていた。パピルスを所有した死者は冥界の王オリシス神の前で無罪となれる。
死者の楽園
オリシス法廷で無罪となると、永遠の命を与えられ、楽園に行くことができた。貧困の者であっても行くことができると考えられた。「平和の野原」と呼ばれた楽園は、周囲を清流が囲み、豊かな実りが約束されていた。死者は痛みや苦しみなく、楽しく過ごすことができた。「死者の書」はエジプトがローマ帝国に侵略された後も、約4000年の長い信仰生命を保ってきた。