1月30日からは、古代中国で考案された暦の区分・二十四節気(にじゅうしせっき)を更に細かく区分した七十二候(しちじゅうにこう)で「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」になる。それは、ニワトリたちが春の気配を感じ、卵を産み始める時期だとされている。
渡来時のニワトリは時を告げることを目的に飼育されていた
我々と身近な存在であるニワトリは、キジ目キジ科の家禽で、もともとは東南アジアで野生種のセキショクヤケイが家畜化され、日本には弥生時代後期までに渡来したとされている。しかも当初のニワトリ飼育の目的は、報晨(ほうしん。時を告げること)だったという。ニワトリは明け方に決まって鳴き声を上げるため、丑の刻(午前2時)に鳴くのを一番鶏、寅の刻(午前4時)に鳴くのを二番鶏として、時間を知る目安にされていた。それは『古事記』(712年)の「天岩戸(あまのいわと)」神話において、当時、ニワトリには太陽を呼ぶ力があると信じられていたことから、天岩戸に閉じこもってしまった天照大神(あまてらすおおみかみ)を外に出すために、八百万の神々がニワトリを鳴かせるというエピソードが描かれているが、それは、ニワトリと命の誕生・再生を可能にするという太陽信仰との深い結びつきを示している。
ニワトリが食用となるまでの経緯
のように、卵や肉などの食用の鳥というより、霊鳥視されていたニワトリには、いろいろな言い伝えがある。例えば、あの特徴的な鳴き声から、鷹など、人間に害をなす可能性のある猛禽類はもちろんのこと、鬼や化物を追い払う。元旦にニワトリの鳴き声を聞いた人は、長寿を保つ、富貴になる。更には、水死者の所在を知らせる能力を有する…などだ。
平安期になると、もともと「年占(としうら)」という神事的な意味合いが込められていた闘鶏が、貴族の間に遊戯として広まっていった。また、江戸期になると、品種改良が進み、鳴き声や容姿を愛でる愛玩のために珍重された。しかし神聖なものと捉えられていたことから、ニワトリの卵や肉の食用が始まったのは、江戸末期以降とされている。
福岡市東区にある香椎宮の鶏石神社はニワトリを祀っている
福岡市東区にある香椎宮(かしいぐう)の境内に、鶏石(けいせき)神社が鎮座する。神社につきものの狛犬は「犬」ではなく、「ニワトリ」である。香椎宮は、熊襲征伐の途中、橿日宮(かしい/かしひのみや)で急逝した仲哀天皇(149〜200)の神霊を、神功皇后(169〜264)が祀ったのが始まりとされる、皇室とも関わりが深い大社である。『万葉集』(759〜780年頃成立)に収録されている大伴旅人(665〜731)の歌に、神亀5(728)年、大宰府に長官として赴任当時、香椎宮参詣の帰途に詠んだ、「いざ子ども 香椎の潟に白妙の 袖さへぬれて朝菜摘みてむ」がある。これは昭和を代表する作家・松本清張(1909〜1992)の推理小説『点と線』(1958年)にも登場するほど、著名なものだ。
毎年9月1日に鶏石神社で行われるニワトリに感謝を捧げる鶏魂祭
そして鶏石神社だが、毎年9月1日の、ニワトリに感謝を捧げる例祭・鶏魂祭には、年々その数が減っているものの、養鶏業を営む農家・飼料業者・製菓業者などが参加している。この神社の御祭神や創建時期は不明だというが、江戸時代における、今日で言う博物学・鉱物学・考古学研究の先駆者だった「弄石家(ろうせきか)」の木内石亭(きのうちせきてい、1724〜1808)が著した『雲根志(うんこんし)』(1773年)前編の「変化類(へんかのるい)」に、「鶏化石(けいかせき)」として紹介されている。
ニワトリと石の由来
その昔、香椎の浜に、どこからともなくニワトリがやってきて、百姓たちが丹精を込めて育てていた農作物を荒らし回っていた。それに業を煮やした百姓たちは、ニワトリを殺してしまおうと息巻いていた。そんな折、旅の僧が通りかかった。僧は、以下のように歌を詠み「ニワトリの罪を赦し、私に譲ってくれないか」と頼んだ。
「いにしへも 鶏の玉のむ ためしあり
罪をばなどか われにあたへぬ」
しかし百姓たちは僧の願いを聞き入れず、ニワトリを殺してしまった。死んでしまったニワトリの魂は、自分を庇ってくれた慈悲深い旅の僧に心から感謝し、たちまち石と化した。
(石亭執筆当時の)今では、ニワトリの形をした石を祠に安置して祀っている。このお社の周囲を調べると、小さなニワトリの形をした自然石を拾うことができるという。ただし残念ながら、私自身はいまだに、その「鶏化石」を見たことがない。
ニワトリの卵や肉を食べることはなかったが
僧が歌に詠んだように、「大昔はニワトリの生卵を飲む風習があった」ようだが、前にも述べた通り、日本においてはニワトリの卵や肉を今のように食べることはなかった。それは天武天皇4(675)年に、牛・馬・犬・猿・鶏の肉食を禁じたことに始まる。そしてニワトリの卵を食べることについてだが、『日本霊異記』(平安時代初期成立)に、以下の説話が書かれている。
日本霊異記に残るニワトリの説話
和泉国和泉郡下痛脚村(しもあなしむら、現・大阪府泉大津市)の青年が、因果応報を信じていなかったため、いつもニワトリの卵を煮て食べていた。そんな折、天平勝宝6(754)年の3月に、青年のもとに見知らぬ屈強な兵士が
訪ねてきた。兵士が言うには、「国の役人がお呼びである」と。兵士が腰に、冥界からの使者が携えているとされる4尺(約121cm)ほどの木札を負っているのも構わず、青年はその後について行った。その後、2人はおよそ2里半ば
(約10km)先の山直里(やまたえのさと。現・大阪府岸和田市)に着いた。あたりは一面の麦畑で、麦が丈高く伸びていた。兵士は突然、青年を麦畑に押し入れた。麦は燃え上がる松明の火のようで、足の踏み場もないほどだった。
青年は「熱い!熱い!」と畑の中で泣き叫んでいた。その声を聞いた村人が、青年を捕まえようとしたが、暴れて手がつけられない。やっとのことで捕まえ、村人は青年を麦畑の囲いの外に引っ張り出した。青年は気を失ったまま、
地面に臥していた。しばらくして意識を取り戻した青年曰く、あたり一面火の海で、逃げ出すことができず、苦しかった。足を焼かれ、その痛さは、熱湯の中で煮込まれているかのようだった、と。村人が青年の袴のすそをめくり上
げると、ふくらはぎの肉がただれて溶けており、骨が鎖のようにつながっているのが露出していた。それから1日経って、青年は亡くなった…。
ニワトリの卵を食べるなど言語道断とされていた
『日本霊異記』は仏教説話集であることから、ニワトリの卵を煮て食べるなど、「邪見(じゃけん)」な青年の振る舞いと、それによって受けた罰を示し、因果応報を信じなければならないと強調する。カラスが自分の子を慈しむあまり、他の鳥の子を食べるが、そのようなことをしてはならない。慈悲の心のない者は、カラスと同じである。『涅槃経』(4世紀頃成立)に、「人と獣の違いの中に、貴賤の差があるが、命を大切にし、死を重視することは、人も鳥獣も変わりはない」とあり、『善悪因果経』(6世紀成立)に、「この世でニワトリの卵を焼いたり煮たりする者は、死んで灰河(けが)地獄(熱灰が流れているとされる)に堕ちる」と述べている、と締めくくっている。
最後に…
恐らく香椎の浜での一件は、江戸期以前のことだと考えられるため、『日本霊異記』におけるような価値観、すなわち、ニワトリの肉や卵を食べてはならないということは遵守されるべきこと、そして「常識」でもあった。とはいえ仏教が日本に伝わる以前には、ニワトリの卵、すなわち、ニワトリの命をいただいていた人もいたのだから、この度は、ニワトリの命を救って欲しいと村人に請うたのだろう。その願いは悲しいことに、聞き入れられなかったが、僧の慈悲の心は今も生きていて、石になったニワトリを祀った祠は鶏石神社として香椎宮内で大切に守られ、今も粛々と養鶏関係の人々が例祭を執り行っているということは、漫然と鶏肉や卵を食べている我々にとっては、頭が下がる思いである。
とはいえ、もしかしたら、石亭が見つけ出すことができなかった、小さなニワトリの形をした石が、鶏石神社の周囲で見つかるかもしれない。しかし、くれぐれも神域での「トレジャーハンティング」は控え目に…。
参考資料
■森直郷「信心と伝説:鶏石神社」『九州日報』1934年12月30日 朝刊(6頁)
■木内石亭(著)今井功(訳注解説)『雲根志』1969年 築地書館
■木内石亭『覆刻 日本古典全集 雲根志』1979年 現代思潮社
■森弘子「香椎宮」西日本新聞社・福岡県百科事典刊行本部(編)『福岡県百科事典 上』1982年(344頁)西日本新聞社
■斎藤正「木内石亭」国史大辞典編集委員会(編)1984年(180頁)吉川弘文館
■清水大吉郎「雲根志」下中弘(編)『日本史大事典 1』1992年(816頁)平凡社
■中田祝夫(校注・訳)『新編 日本古典文学全集 10 日本霊異記』1995/2008年 小学館
■出雲路修(校注)『新日本古典文学大系 30 日本霊異記』1996年 岩波書店
■河野友美『新・食品事典 2 肉・乳・卵』1999年 真珠書院
■菅豊「にわとり」福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邊欣雄(編)『日本民俗大辞典 下』2000年(291-292頁)吉川弘文館
■木内石亭・横江孚彦『口語訳 雲根志』2010年 雄山閣
■梅原猛『古事記 増補新版』2012/2013年 学研パブリッシング
■藤原喜美子「香椎宮の鶏石神社と神功皇后と湊」『久里 −KURI−』33号 2014年(57-78頁)神戸女子民俗学会
■「にわとりや二代目 五恵子の直売日記 158:香椎宮に行こう! −鶏石神社のススメ−」『養鶏の友』644号 2015年10月号(52-55頁)日本畜産振興会
■関和彦「にわとり」木村茂光・安田常雄・白川部達夫・宮瀧交二(編)『日本生活史辞典』2016年(504頁)吉川弘文館
■小池淳一「境界の鳥 −ニワトリをめぐる信仰と民俗−」『国文学研究資料館紀要 文学研究篇』44号 2018年(259-273頁)国文学研究資料館
■「七十二候『鶏始乳』身近なニワトリの意外と知らない一面」『ウエザーニュース』2022年1月30日
■「万葉歌碑(香椎潟)」『福岡市の文化財』
■「天岩戸神話」『日向國 天岩戸神社』