昨今、孤独死はすでに珍しいものではなくなっている。亡くなるのは高齢者だけでなく、若年層にも見られる。行政の怠慢だとか、家族のサポートがあればだとか、人との関わりが重要であることを示唆する声がある一方、故人の責任だとして突き放すような態度を取る人もいる。そんな中で、孤独死の現場をミニチュアで再現する人がいる。小島美羽氏だ。彼女は特殊清掃の職に就き、それを通して見てきた現場の再現に注力している。なぜ、孤独死に焦点を当てたのか、それをミニチュアで再現する意図はどこにあるのかを、この記事に記していく。
孤独死をリアルに感じることは難しい
孤独死というと、「ああ、怖いよね」と感じる人は多いだろう。しかし、それが我が身、近しい人に起こり得るとは考えがたいのが本当だろう。実感しようにも周囲に人がいて、孤独ではないから、しようがないのだ。社会的に人と関わっていたり、家族と一緒にいたり、一人暮らしだとしても、スマートフォンがあれば連絡を取れる人がいる。ソーシャルゲームのフレンドや、SNSにつなげば、一人ではないと感じられる。そんな状況下で、「孤独死のつらさ、怖さ」を説いたところで、漠然としたものになることは否めない。
ミニチュアによって孤独死をオブラートに包みつつリアルに感じさせる
小島氏が意図するところは、ここにある。実際の現場を写真に収めたものを公開することは、人によっては強い拒絶を示す。しかし、ミニチュアとして再現すれば、その恐怖はオブラートに包んだようにいくらか和らぐ。そしてそのミニチュアと向き合ったとき、恐怖と同時に思うのは、「自分(家族)がこうなったら、どうしよう?」という、そこから一歩先んじた思考が生まれるのだ。
細部までリアルに表現された孤独死のミニチュア
小島氏が再現するミニチュアは、とても細かく作り込まれている。部屋中に散乱するゴミやお酒の空き缶、ゴミ袋から中身があふれて腐乱したもの、トイレの便座に座ったまま亡くなったため、便器の中が真っ黒になってしまった様子などは凄惨を極めている。小島氏曰く、孤独死はこのような状況に至るケースがもっとも多いという。
孤独死の現場は他者との関わりを一切感じさせない
孤独死に共通しているのは、周囲との関わりがないということ。近隣の人に挨拶をすることもなく、されても無視をする。呼び鈴を鳴らしても、居留守を使う。反対に、周囲の人とまめに挨拶を交わし、散歩に出るなどしていた場合は、死後2、3日で見つけてもらえるのだという。
父親の死
先に書いた、便座に座ったまま亡くなってしまったミニチュアは、小島氏が自身の父親の死をきっかけにして作成したものだ。小島氏の父親の死因は、ヒートショックだった。ヒートショックで死に至るケースとして有名なのは、真冬などにお風呂であたたまった身体が脱衣所で急速に冷えて、血管などが破れてしまうもの。また、本来ならあたたかいはずの便座が、節電としてコンセントを抜いたために、冷たい便座で急死に至ったケースもある。
孤独な人が孤独死をするわけではない
小島氏いわく、孤独な人が孤独死するわけではないという。なぜなら、故人にも、生まれたときには家族がいて、社会に出て人と関わってきた過去がある。友人と遊んだこともあっただろうし、趣味に生きて日々を楽しんでいたこともあるだろう。偶然、亡くなったときに一人だった、というだけのことだ。たとえば、離れた家族に連絡をしようと思いながらも、「まあ、いいか」と後回しにしたり、遠方の我が子の身を案じながら、「きっと大丈夫だろう」と思ったりしたことは、誰にでもあるだろう。しかし、「亡くなってからでは遅い」と小島氏の弁。「亡くなられる方も遺族も後悔なく過ごすことをしてほしい。今からでも実家のご両親に連絡を取ってほしい」と続けて語る。
最後に…
今は人と関わらなくても生活できる環境が整い、確かにそれは便利である。その一方で、孤独死をむかえる人は後を絶たない。ぜひ小島氏のミニチュアを一度御覧いただきたい。そして感じるものがあるのならば、会いたい人に会いに行き、声をかけてほしい。それがあなたや、あなたの大切な人の何十年後かにこのような姿になることを、きっと防いでくれるだろう。