中米、とくにメキシコでは死をことさら明るく扱っている節がある。雑貨や日用品にドクロをデザインしているし、そのドクロも鮮やかな色彩で描かれることが多い。独特の死生観のルーツは、マヤ・アステカからきているとする説がある。古代マヤ文明の神話には、ひときわ異彩を放つ女神が存在する。女神の名はイシュタム。彼女は、死者を楽園に導く役割を担っている。この役割は、ほかの神話でも担う神は存在する。この女神がそうした神々と一線を画するのは、その姿だ。
腐敗する女神
イシュタムは首をつった姿で描かれている。その顔には黒い斑点が浮かぶが、これは腐敗を表すとされる。さらに、むき出しの乳房が張り出しているが、これは妊婦を指すという説もある。これほど生々しく、グロテスクに描かれる女神は、そうは見あたらないだろう。
ユカテク族の価値観
古代マヤに生きたユカテク族(現ユカタン半島の先住民)の中では、楽園に行けるのは、聖職者、生け贄、戦死者、お産で亡くなった女性、そして首をつって亡くなった者とされていた。そして、自死自殺のなかでも首をつる手段は特に名誉ある死であった。イシュタムはこの、首をつって亡くなった者を楽園に導く女神である。この楽園では、すべての欲望から解放され、極上の飲み物、食べ物が味わえるという。そしてマヤの宇宙樹ヤシュチェの木陰で永遠の安息を得ると考えられていた。
月食と妊婦の悲劇
このほかにも、イシュタムは月食の象徴だと指摘する声もある。マヤにおいて、月食は胎児に奇形を生じさせ、死に至らしめるとされていた。そのため、イシュタムは妊娠、出産にまつわる女性の悲劇を示している可能性がある。
自死自殺はタブーとされているが
たいていの宗教、神話では、自死自殺はタブーとされている。実際、私たちもそのように考えているだろう。しかし、このマヤ文明には、そうした死を選んだ者を受け入れる神が存在していた。この事実は、今、まさに思い悩む人にとって、意外、かつ、安心できるのではないだろうか。死んでしまいたいと考える人が、みな本当に死を選ぶのかといえば、決してそうではないだろう。そうした思いを抱えながら生きている、それを認めてくれる何かがある、というだけで、どこかほっとする人も少なくないだろう。古代マヤの人たちが生きていた時代と現代では、自死自殺に対する価値観は違うだろう。上に書いた、この女神の捉え方も、おそらく違っている。しかも、現代ではもはや、自死自殺は珍しいものではなくなってしまった。現代におけるイシュタムの役割は、息苦しさ(生き苦しさ)にあえぐ人たちを受け入れ、見守ることなのかもしれない。