東京都目黒区下目黒にある五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)では、毎年3月12日の大祭の他、年に数回ある吉日(きちじつ)である天赦日(てんしゃび)にお財布供養を行っている。
財布の起源と歴史
そもそもお金を持ち歩くためのものとして、「財布」そのもの、そしてそれを言い表す言葉は、江戸時代中期になってできたもので、もともとは「金袋(かねぶくろ)」、「銀袋(ぎんぶくろ)」、または「巾着袋(きんちゃくぶくろ)」と言っていた。
形は木綿や麻の裂地(きれじ)を二つ折りにして、両側を縫い合わせる。その片側は口より10〜15cmほど空け、乳(ち、ちー。丸いループのこと)をつけて紐を通す。それを首から下げ、口を巻いてふところに収める。または「三徳(さんとく)」という、長方形のものもあり、その中に小銭・印鑑・薬などを入れておくのだ。今日我々が知る「財布」は、三徳が発展したものと言えるかもしれないが、主に明治時代になってから、布や皮革など、多種多彩な素材で作られ、今日に至っている。
財布の意味や用途
言葉としての「財布」だが、財布の「財」は、人が「宝」とするもののことで、金銀・珠玉・金銭・宝物・米穀・その他、値打ちのある物品など。それ以外では、働き・才知・才能。更に裁くこと・裁決、「ようやく」、「わずかに」などの意味もある。それゆえ「財布」は、金銭を入れる入れ物を指す。
財布を用いた表現
しかも「財布」という言葉は例えば、「財布の紐が堅い/財布の紐を締める」であれば、無駄遣いせず、節約すること。反対に、「ついつい無駄遣いをしてしまうこと」や「思わず買ってしまうこと」であれば、「財布の紐を緩める」。「財布の底をはたく」は、有り金全てを使ってしまうこと。「財布の紐を握る」は、家庭の経済状態を掌握し、収入・支出を管理すること。しかもそれは単なる「管理」にとどまらず、民俗学的には、家長権を象徴するものと捉えられていた。かつては「財布渡し」などの名称で、大家の家長が隠居し、息子などに家督を譲る際、いくらかの金銭を入れた財布を渡す儀式を、大晦日に行うこともあったという。このように「財布」という「もの」、そして言葉は、我々の生活に実に深く浸透している。
生まれては消える言葉 常に変化し続ける言葉
話は飛ぶが、かつて「実年(じつねん)」という言葉がつくられ、いつの間にか消えていったことを覚えている人は今、どれぐらいいるだろうか。1985(昭和60)年に厚生省(現・厚生労働省)によって、50〜60歳代の中高年層を指す名称を一般公募し、およそ2万5000種類の言葉の中から選ばれたものだ。1〜2年ぐらいは使われていたものの、3年後の1988(昭和63)年には、「死語になりかけている」と1月28日付の『読売新聞』で報じられる始末であった。なぜ「実年」が定着しなかったのか。それは、日本語学者・橋本行洋(1958〜)によると、「役所」などの「上からの押しつけ」に対する反発。世間に広く浸透していた同義の言葉、「熟年(じゅくねん)」との区別が明確でないこと。そして「実際の年齢」を示す「実年齢」との紛らわしさがあったこと。更には、第二次世界大戦以前から「先輩」「年長」「上級」を意味し、「年を取っていること」に絡んだマイナスイメージがさほど存在しない英語のseniorのカタカナ、「シニア」が多用されるようになったことなどが要因であると述べている。
しかし「財布」という言葉に関しては、先行していた「巾着袋」「三徳」などとは明らかに違う言葉であり、しかもそれが「先祖返り」することなく、または英語のwalletやpurseがカタカナ語化し、完全に取って代わることもなく、「人にとって金銭など、価値あるものを持ち運ぶ布製のもの」である「財布」という言葉は、もはや今日では、「布」に限らず様々なものからつくられているにもかかわらず、何の疑問も抱かれず、使われているのである。
五百羅漢寺のお財布供養
五百羅漢寺のお財布供養に話を戻そう。日々の暮らしの中で、常にそばにいて、ずっと大切にし、なおかつ、「臨時収入!」「あ、損した!」などといった、お金にまつわる悲喜こもごもを一緒に感じてくれていた、ある意味自分の「分身」である財布を供養することは、古い自分を捨てること。そして、さながら爬虫類の脱皮のように、新しい自分に生まれ変わったように思われ、実に感慨深いものである。
「供養」という言葉は、「亡くなった人の魂を鎮める」こと、そしてそのための、主として仏教系の儀式を想起させるものだが、「お財布供養」の場合は、「供養」にまつわる「悲しさ」「やりきれなさ」「暗さ」などが存在しない。それは言うまでもなく、人の命が失われることと、古い財布をゴミとして捨てるのではなく、手厚い儀式をもって「葬る」こととでは、「重さ」「衝撃」「喪失感」が大きく異なるためだ。亡くなった人のための「供養」が、自らの再出発を誓う「場」には、必ずしもなり得ないものではあるが、たかが「もの」と、簡単に言い難い、捨てにくい「もの」であるお財布供養のような「明るさ」がある「供養」も、時に意義あるものなのかもしれない。
参考資料
■遠藤武「さいふ」日本風俗史学会(編)『日本風俗史事典 縮刷版』1994年(245−246頁)弘文堂
■日本民具学会(編)『日本民具辞典』1997年 ぎょうせい
■倉石あつ子「さいふ」福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邊欣雄(編)『日本民俗大辞典 上』1999年(680頁)吉川弘文館
■赤塚忠・阿部吉雄・遠藤哲夫・小和田顯(編)『旺文社漢和辞典 第五版』1993/2009年 旺文社
■目黒区教育委員会事務局地域学習課文化財係(編)『めぐろの文化財 増補改訂版 2』2007/2010年 目黒区教育委員会
■「日本銀行金融研究所 貨幣博物館 特別展 お財布のかたちとおしゃれ −江戸・明治期の袋物から− 2010年8月3日(火)〜11月21日(日)」『日本銀行金融研究所 貨幣博物館』
■山口明穂・池田利政・池田和臣(編)『旺文社国語辞典 第十一版』2013/2014年 旺文社
■加藤幸治「さいふ」木村茂光・安田常雄・白川部達夫・宮瀧交二(編)『日本生活史辞典』2016年(264頁) 吉川弘文館
■天恩山 五百羅漢寺(編)『らかんさんのことば』2018年 天恩山 五百羅漢寺
■山田忠雄・柴田武・酒井憲二・倉持保男・山田明雄・上野善道・井島正博・笹原宏之(編)『新明解国語辞典 第七版』2020年 三省堂
■橋本行洋「新語の定着とその条件」金澤裕之・川端元子・森篤嗣(編)『日本語の乱れか変化か これまでの日本語、これからの日本語』2021年(131−151頁)ひつじ書房
■「お財布供養」『天恩山 五百羅漢寺』