JR山手線・埼京線・湘南新宿ライン、西武池袋線、東武東上線のターミナル駅として知られる池袋駅、そして周辺に広がる巨大商業施設の喧騒から離れた住宅地の一角に、池袋御嶽神社という小さな神社がある。創建時期は天正年間(1573〜1583)で、御祭神は倭建命(ヤマトタケルノミコト)、神武天皇、武甕槌命(タケミカズチノミコト)。末社は子育稲荷神社で、保食神(ウケモチノカミ)も祀られ、池袋駅西口地域一帯の鎮守の杜として、現在も大切にされている。そしてここには、「池袋」の「ふくろ」と「ふくろう」の「ふくろ」、「負苦労」「福籠」との語呂合わせで鳥のふくろう像が立てられており、ふくろうにちなんだお守りも売られている。
池袋の成り立ち
そもそも「池袋」だが、日本が戦後復興から立ち上がり、高度経済成長期に突入していた1958(昭和33)年に、東京都心の分散を目的として、新宿・渋谷同様、「副都心」となり、東京を代表する街となった。しかし、かつては静かな農村だった。
現在、JR東日本管内において、新宿駅に次ぐ乗降客数と言われている池袋駅は1903(明治36)年、かつての池袋村・雑司ヶ谷村・巣鴨村3村の村境近辺に設けられた。そこはもともと人家が少ない場所だったことから、鉄道会社3社が大規模に線路を敷設することができたのだ。それに伴い、周辺地域の都市化が進み、繁華街ができあがっていくのと同時に、雑司ヶ谷墓地(後の雑司ヶ谷霊園・南池袋4丁目)、警視庁監獄巣鴨支所(後の東京拘置所、巣鴨プリズン・東池袋3丁目)などの公共施設、豊島師範学校(後の東京学芸大学・西池袋1丁目)、成蹊実務学校(後の成蹊大学・西池袋1丁目)、立教大学(後の西池袋3丁目、自由学園(後の西池袋2丁目)など、今日も存続している学校が続々と開校されるようになっていったという。
ふくろうはどんな動物か?ふくろうがもつイメージとは?
そして「ふくろう」だが、ネズミなどの小動物を捕食する猛禽類で、夜行性でもある。全長は13〜70cm。羽の色は一般に濃淡の斑点がある暗褐色で、南極大陸を除く全世界に分布している。一般に、猫の耳のような羽角(うかく)がない種を「ふくろう」、羽角がある種を「みみずく」と分類しているが、それは必ずしも厳密なものではないという。しかもふくろうは他の鳥のように、目と目の間に大きく長いくちばしがないことから、「鳥らしくない」顔立ちだ。人間の、「丸顔の人」を連想させる。
更ににわとりなどのように「落ち着かない」、そして「騒がしくない」ことから、熟考を重ねる智者・哲学者にすら見えてしまうためだろうか。知恵・詩・医学・芸術などの守護神であるギリシャ神話のアテナ、ローマ神話のミネルヴァの聖鳥とも考えられていた。今日の我々の「ふくろう」観も、ギリシャ・ローマ神話の影響を濃厚に受けていると言えるだろう。
しかしふくろうは夜に飛び回ること、敏捷な小動物を狙う「ハンター」でもあり、鳴き声も独特であることから、時に「死」を連想させる鳥として、例えば、夜遅くにふくろうの鳴き声が聞こえると、どこかに死者が出るのではないか。または、誰かが死んでしまったのではないかなどと、世界中の人々に恐れられた「凶鳥」でもあった。
死を連想させるふくろうの民話
このように、ふくろうが「死」をイメージさせる鳥だと捉えられてきたことを物語る、日本の民話がいくつかある。例えば、香川県小豆(しょうず)郡では、「よし」と「とく」という2人の娘を海辺で失った母親が、悲しさのあまり、毎晩浜辺で泣き暮らしていたが、いつしかふくろうになってしまった。そして今でも「よしとく」と鳴いているというもの。
広島県広島市では、要七という子どもが遊びに出て、帰ってこない。母親が探しにいくものの、見つからず、路傍で死んでしまったが、ふくろうに生まれ変わった。そのふくろうは、夜な夜な「要七よい」と鳴いている。子どもが心配で急いでいた母は、右足に黒足袋、左足に白足袋をはいて外に出かけたことから、今日、ふくろうの右足が黒く、左足が白いという。
長崎県壱岐(いき)では、ある貧しい兄弟が二人暮らしをしていたのだが、弟の「とく」が、麦の収穫前に餓死してしまった。兄は悲しみのあまり、ふくろうになってしまった。ふくろうになった兄は、麦ができる時期になると、弟を偲んで、「よしとく」と鳴くというものなどだ。
最後に…
池袋御嶽神社に祀られているふくろうはもちろん、先に挙げた民話のような、深い悲しみに満ちたふくろうではない。苦しみを祓い、幸福をもたらすものだ。
しかし、日本国内には今現在、8属10種のふくろうが生息しているという。野山にひっそりと棲む1羽のふくろうが、今日もどこかで、民話のように、失われた命を嘆き悲しんでいるかもしれない。そう考えれば、大切な誰かを失って、身も心も引き裂かれそうなほど辛い気持ちが、少しは和らぐのではないだろうか。
悲しんでいるのは「わたし」だけではない。「わたし」と同じように、または、「わたし」と一緒に、ふくろうも夜ごと、悲しみの声を上げている…。
参考資料
■咲花裕子「ヨシトク」(999頁)稲田浩二・大島建彦・川端豊彦・福田晃・三原幸久(編)『〔縮刷版〕日本昔話事典』1994年 弘文堂
■竹下信雄「フクロウ」(495−496頁)/荒俣宏「フクロウの神話・民俗」(496頁)下中直人(編)『世界大百科事典 24 ヒヌ−フノ』1988/2005/2007/2009年 平凡社
■秋山伸一「池袋 −近郊農村から副都心へ−」(146−151頁)池享・櫻井良樹・陣内秀信・西木浩一・吉田伸之(編)『みるよむあるく 東京の歴史 7 地帯編 4 渋谷区・中野区・杉並区・練馬区・豊島区・北区』2019年 吉川弘文館
■『池袋御嶽神社』
■「豊島区 御嶽神社」『東京都神社庁』