もしも自分に残された時間が少ないと分かったら、人はどのようにその瞬間へ向かうのだろう。そこには、どのような心の変化が生まれるのだろう。アメリカの精神科医であったキューブラー・ロス(1926-2004)の著書「死ぬ瞬間」を参考として死への過程の第4段階「抑うつ」について考察しようと思う。
死への過程 第4段階「抑うつ」とは
昨今、「心」についての理解が進んでいるように思う。生きていくうえで心身に何らかの負担がかかることは容易に想像ができよう。それが風邪のウイルスであれ、人間関係であれ、疲労は心にも存在する。その認識が広まり、心の病は身近なものとなった。
死への過程にいる人にも、ふさぎ込んでしまう時が来る。死を遠ざけ自分に起こったことに怒り、祈りまで捧げたのに、「やはり死ぬのか」と実感する時にやってくる喪失感である。
これは、本人が自分の変化に気づいているという証拠でもある。体力がなくなっていくこと、経済的な負担があること、自分の体の変化に気づくことなどにより、自分の大切なものや財産を手放し、職を失うなど目に見える変化が訪れる。そうでありたいという願い通りには行かず、現実との差に落胆し、抑うつになることが多い。死への過程とは、苦悩を伴う心の準備である。
抑うつの1つ目の原因 財産や衣食住に関する苦悩の解消方法
まず、抑うつの原因は二つに分けられる。一つは財産や衣食住などの生活に関わるものであり、二つは自分に起きた変化による準備による苦悩である。これらの原因に対する抑うつの解消法はどのようなものか。
まず一つ目に対しては、キューブラー・ロスが分かりやすく答えをくれた。生活の問題が晴れると抑うつが晴れることが多い、というものである。職や財産について心配をする必要がないことが分かると良い。これは周囲の人にとっても協力の仕方が分かりやすく、本人が抑うつから脱することも比較的容易にできるという。
抑うつの2つ目の原因 変化と準備に対する苦悩の解消方法
問題は、二つ目の苦悩についてである。うつ病の人に対して「元気を出して」と言ってはならないとはよく聞く言葉だ。なぜか。それは、元気づけるのは周囲の一方的な要求だからである。これから起こること、自分が失うものに対しての抑うつであり、それに対して元気づけるという行為は、死ぬことについて考えるなと言っているようなものである。キューブラー・ロスは、意味のない励ましであると言い切っている。
死について考えないことと考えることはどちらが正しいか
私たちはしばしば、悩み事に対して、あまり悩まないようにと気晴らしをすることがある。それは、悩んでいる誰かに対しても同様であろう。ここで、考え方を紹介したい。逃げることが強さか、悩むことが強さか、というものである。心身の安全のために危険を回避する選択できることは、賢明であり強さである。同様に、悩んでも起こり得る結果を自分に変えることができないと知りながら悲しみの中に居続け悩むことができるということも強さであるという考え方がある。死ぬ過程にいる場合は、避けられない死について十分に苦しんだのちに抑うつ状態に至った。これは、後者にあたる。もう十分な強さを持っている人に元気を出してと、どうして言えようか。
周囲の人が持つ元気を出してと願うことはごく当たり前の感情のように思う。ただ、死ぬ瞬間まで人間が成長するならば、死への過程で抑うつ状態にある瞬間も人は成長しているのではないか、と考えてみてほしい。ここまで問うと、キューブラー・ロスが言う“意味のない励まし”という言葉に対して、少し頷くことができるかもしれない。
ありのままの自分
悲しんでいい。元気を出さなくていい。あなたのままでいてくれたらそれでいい。周囲の人がやるべきことは、そんな想いをもって、本人との間に起きてしまう認識の差を埋めていくことである。鼓舞するのではなく、心が穏やかになるように。目を背けるのではなく、悲しみに居続ける強さを尊重するように。心の温度を上げるのは、言葉にならない声かもしれない。心を通わせよう。