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東京都大田区大森の磐井神社の御神木であるイチョウに残る傷跡

カナダのトロント大学の研究チームが今年2月、重度の火傷の治療に利用できる新しい医療器として、皮膚用のハンドヘルド3Dプリンターに関する研究論文を発表した。重度の火傷治療においては、自分の皮膚を移植する方法が一般的だが、火傷の深さや範囲によっては、それが難しい場合も少なくない。そこで、皮膚の再生を促進する間葉系間質細胞と、血液凝固にかかわるタンパク質のフィブリンをベースとした専用のバイオインクを用い、「人工皮膚」を傷口に直接「プリント」できるようにした。実験を重ねた結果、従来の治療法と比べて治りも早く、傷口の炎症・傷跡・収縮が減少することが判明した。こうしたことから研究チームは、今後5年以内に医療現場での3Dプリンターの実用化を見込んでいるという。


傷を持たない人が傷を持った人を見るとき

体に残る「傷跡」は火傷に限らず、傍目には「大したことないよ」「目立たないよ」であったとしても、当の本人からすると、とても気になるものである。確かに、日々の生活の中で「見慣れて」しまい、忘れてしまっていたとしても、ふとしたときに気がついて、「ああ、あの時…」と思い出し、苦々しい気持ちになってしまうものでもある。

ところで、自分が負った「傷」ではなく、「自分以外のもの」が負った古傷を偶然目にしたとき、何らかの「傷」を持った人、幸いなことに、何の「傷」も持たない人は、一体何を思うものだろうか。


古い歴史を磐井神社

京浜地域において「第一京浜」「一国(いちこく)」と呼ばれる国道15号線沿いの東京都大田区大森北2丁目に、「磐井(いわい)神社」という、八幡造の社殿37坪、境内1200坪、大体サッカーグラウンド1面分ぐらいの大きさの神社がある。敏達(びだつ)天皇の2(573)年8月の創建と伝えられている。しかも『延喜式(えんぎしき)』(927年成立)に記された神社を意味する「式内社(しきないしゃ)」に定められた、格式高い古社(こしゃ)でもある。とはいえ、ひっきりなしに行き交う車、そして道路沿いに建つ、現代的かつ殺風景なビルやマンション群と同化しているようでもあり、それでいて心休まる昔ながらの「鎮守の杜」の風情をたたえてもいる神社だ。このような磐井神社は、歴史が古いだけに、時代時代の災禍に見舞われてきた。


兵火や荒廃、爆撃などで消失と再建を繰り返してきた磐井神社

戦国時代の永正年間(1504〜1521)には、兵火で社殿が消失。また、天文年間(1532〜1555)にも火災によって、荒廃を余儀なくされていた。その後、江戸時代の寛文年間(1661〜1673)に再建され、1725(享保10)年に徳川吉宗によって社殿などの再造営が行われたという。しかし第二次世界大戦末期の1945(昭和20)年5月24日未明、明治期の近代化に伴い、農村・漁村から、1908(明治41)年の東京瓦斯(ガス)株式会社大森製造所が設立されるなど、風景が一変し、工業都市化していた大森区域(大森・入新井・馬込・池上・東調布)を襲った250機にも及ぶB29の爆撃によって、またも磐井神社は消失してしまった。とはいえ戦後の1954(昭和29)年に再建され、今日に至っている。

5月24日の空襲では、大森地区全体の消失家屋は全焼10152戸、半焼50戸。死傷者数は653人、そのうち亡くなった人は142人にも及んだという。不幸中の幸いだが、「東京大空襲」として世間一般に知られている、同年3月10日、本所(ほんじょ)・深川・浅草などの下町地域を襲った空襲では、95000人にも及ぶ人々が亡くなったが、その犠牲者総数と比べると、格段に数が少ない。それは、下町地域に1665トンもの焼夷弾が落とされたことに加え、その日に限って西風、東風が強く、それに煽られて大火災が発生したこと。また、落とされた地域そのものも、狭い路地に木造家屋が密集状態だったことから、バケツリレーによる非効率な消火活動に当たっていた人々が逃げ遅れてしまったことが大きかった。それ以降、空襲警報が鳴ったら、多くの人々がためらうことなく、迅速に避難するようになっていたため、犠牲者数が大きく減ったと言われている。


目まぐるしい時代を生き抜いてきた磐井神社の御神木であるイチョウ

頻発した空襲から生き残り、終戦直後の焼け跡闇市の混乱状況〜戦後復興〜高度経済成長〜工業都市ならではの空気汚染や振動などの公害問題の発生〜「天下無敵」に思われた「ひと夜の夢」こと、バブル経済の興隆〜「お祭り騒ぎ」があっけないほど収束したバブル崩壊〜ITブーム〜リーマンショック〜東日本大震災〜アベノミクス〜令和のコロナ禍…と、目まぐるしく移り変わった75年間をたくましく立ち、生き抜き、今もなお生き続けている「もの」が、磐井神社には存在する。


磐井神社の御神木であるイチョウに残る傷跡

それは、境内に残るイチョウの古木である。これといって珍しいものでもない神社の「御神木」にしか見えないが、この木をよく見ると、木の上部に、黒く焼け焦げたような「傷跡」があるのだ。それは、焼夷弾の直撃によるものか、焼夷弾が落とされて燃え上がった本殿からの火が延焼したものなのか。いずれにせよ、冒頭で述べた、傍目には「大したことないよ」「目立たないよ」としか映らないものだ。その証拠に、木は立ち枯れることなく、太く大きく張った枝の先端には、青々とした緑が萌え伸びているのだから。しかし、実は当のイチョウの木は、その「傷跡」が気になってしょうがない。場合によっては「気になる」どころか、凍てつく北風が吹き寄せる真冬になると、当時の古傷が激しく疼いているかもしれない。その痛みは疼きにとどまらず、「いっそ死んだ方がマシだ!殺してくれ!」と叫び、悔し泣きせずにはいられないほどひどいものである可能性もある。

もちろん我々には、イチョウの木の声は聞こえない。黒い「傷跡」も、「古い木だから、空襲に関係なく、よくあること」などと、全く目に入らない程度のものかもしれない。しかし冒頭で述べた、最新の3Dプリンター技術を用いるなどして、「きれいな状態」にすることができたとしても、イチョウの木を、空襲を受ける前の、伸びやかに天に向かっていた頃の無垢な状態に戻すことは、到底不可能なのだ。


戦争を想像してみる

酷暑が予想されている今年の夏だが、もうすぐ8月15日の終戦記念日がやってくる。多くの犠牲を払い、あの戦争は終わった。そして日本は、目ざましい、奇跡的とも言える復興を遂げた。今現在、コロナウィルスの大流行が、我々にとって大きな脅威として立ち塞がっているとしても、いつ終わるともしれない戦争、そしてB29の来襲に怯え、死と隣り合わせであった当時の日本と、その時代を生きた人々の不安や恐怖を思うと、「大したことはない」かもしれない。だが、「今」を生きている自分が、もしも「あの頃」生きていたとしたら…。


生き残ったものと死んでいったもの

日本全国には、磐井神社のイチョウの木のように、傷ついたまま75年を生きた木も、焼夷弾によって焼け落ちてしまった木も、数限りなく存在していたことだろう。たとえ磐井神社のイチョウの木が癒えることはないにしても、黒い「傷跡」を見て、我々は、自分が今生きていること、死んではいないことを強く意識し、逆に「死を思う」。戦後75年の大きな区切りを迎えた今だからこそ、生と死の「コインの裏表」というありよう。あの「傷跡」が突きつける過酷な現実を目にすることを、「生」も、そして「死」も、我々が無駄なものにしないためのいい機会にしたいものだ。


参考文献

■三浦謙(編)『全国神社名鑑 上巻』1972年 全国神社名鑑刊行会史学センター
■「NHKスペシャル取材班・山辺昌彦(東京大空襲・戦災資料センター)(編)『東京大空襲 未公開写真は語る』2012年 新潮社
■平塚柾緒(編)『日本空襲の全貌』2015年 洋泉社
■池享・櫻井良樹・陣内秀信・西木浩一・吉田信之(編)『みる・よむ・あるく 東京の歴史 6 地帯編 3 品川区・大田区・目黒区・世田谷区』2019年 吉川弘文館
■ 「重度の火傷でも傷跡が残らない、皮膚を直接プリントできる携帯型医療器具を開発」(fabcross 2020年3月10日 
■『武蔵之國鎮座 磐井神社
■「磐井神社 東海七福神 弁財天を祀る」『しながわ観光協会』
■「大田区 磐井神社」『東京都神社庁』
■「磐井神社」『神社と御朱印』
■「東京大空襲とは」『東京大空襲・戦災資料センター』
■「都道府県別被害データ −空襲の記憶− 未来に残す 戦争の記憶 東京都の空襲被害データ


ライター 鳥飼かおる

記事掲載日:2020/08/11

胃腸

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